優勝へ導いたのは「思いやりの連鎖」

前の人が後の人のことを考え、後の人が前の人のことを考える。そういう思いやりの連鎖が、打線を点から線へと変え、チームプレーや団結力というものにつながる。

阪神タイガースというチームの中で、俯瞰で見る4番に徹していたのだろうと思う。3番のバースが勝負してもらえるように強い4番でありなさい、40本近くホームランを打ちなさいと、俯瞰で見るもう1人の私が言う。それで後ろの岡田の状態がよければ、岡田にチャンスが広がるように我慢して100個フォアボールを選びなさいと、またもやもう1人の私が言う。

打席の中で我慢しながら、勝負していく。チームの優勝に飢えていた自分が、どこかにいたのだろう。勝つ喜びを感じたい。そして、あれだけ大勢の阪神ファンの方たちに、勝つ喜びで恩返ししたい。そうした気持ちが勝っていた。

よく「1人ひとりが自分の仕事を果たせ!」と言われるが、仕事とは、自己犠牲の精神をもってチームを考えることである。技術という裏付けがあってこその思いやりの連鎖ではあるが、勝利のための必須マネジメントだろう。

85年は、バースの55号ホームランがかかっていた。多くの投手がバースとの勝負を避けて、敬遠をして1塁に歩かせ、私に打席が回ってくる。10月16日のヤクルト戦でリーグ優勝を決めてから残り5試合あった。しかも最後の2試合は、当時のシーズン本塁打記録55本をもつ王貞治さんが監督を務める巨人戦。当然、巨人投手陣はバースとまともには勝負してこないだろう。私は、打率3割で終われるかどうかというところだった。もう優勝も決まっていたし、吉田義男監督に「代わるか? 休むか?」と打診された。

そのとき、大先輩の野村収さんに諭された。野村さんはNPBで初めて全12球団から勝利を上げた名投手だ。

「カケ、お前は3割打ったとか打たないとか、そういうレベルの選手じゃないだろ。ファンの前に、常にグラウンドに出て野球をやらなければいけない選手なんだよ。だから絶対、休んじゃ駄目だ。最後まで出なさい」

すごく重たい言葉で、嬉しかった。4番としてのみずからの存在を再確認できたときでもあった。

85年のシーズンが終わったときに、吉田監督がインタビューで優勝の要因を聞かれた際に「うちには日本一の4番バッターがいます」と言ってくれた。胴上げされたときよりすごく嬉しかったことを覚えている。

また落合博満さんが「この打線の中で、この仕事をできるのは掛布しかいない」と言ってくれた。これもすごく嬉しかった。4番としてタイトルを獲ることもすごく大切なのだが、チームの状態を考えて4番の野球も変化するという、そういう変化に対応できる4番でなければならないと思う。

思えば85年の優勝は、真弓明信、バース、掛布、岡田彰布と30発カルテットを擁して「打ち勝った野球」の印象が強いが、一方で木戸克彦捕手、岡田2塁手、平田勝男遊撃手、私が3塁手でゴールデン・グラブ賞を受賞した。バースの1塁も上手かった。

私は優勝の共同会見でこう言った。

「マスコミのみなさんは『200発打線』の一言で片付けがちですが、このチームは守り勝ったチームなんです」

「足、あし、あしぃ!」

内野手には足を動かすことを徹底させる吉田監督は、春季キャンプでメガホンを持って大声を出して選手を𠮟咤していた。まずは下半身を使って打球の正面に入るのだ。現役時代には「今牛若丸」と呼ばれた吉田監督。攻撃的に守備をすることを徹底的に鍛えられた。

85年の西武ライオンズvs.阪神タイガースの日本シリーズ第2戦、勝利インタビューで吉田監督は、勝利の要因として「ダブルプレーを3度取れたことが勝因です」と語っていた。

掛布雅之

プロ野球解説者・評論家