二条駅界隈へは染め物業者が集まった

二条駅界隈は鉄道開通とともに倉庫街となり、駅の西側は田園地帯だった。そこへ綿ネル製造のレンガ造り工場が立地してから歴史的風景は展開する。工場のまわりに京染め業者たちが市内から移ってきた。堀川沿いは江戸時代以来、京染め業者の集まっていた地域で今でも染め物屋が多い。堀川は戦後もずいぶん長く友禅流しの光景が見られた。この地域は京都のなかでもまちづくりに熱心な地域のひとつとして知られ、工房めぐりなどのイベントも開かれている。

出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋
[写真1]八竹庵 出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋

唐破風を備えた銭湯

JR二条駅から南へ向かう、NISSHAの西側の地域は、戦前の借家街がまるごと残っている。借家街につきものなのが銭湯だ。この芋松温泉も周辺借家街とほぼ同時にできたと考えてよい。唐破風を備えた立派なつくりである。もしルートを逆にたどったなら、ここでひと風呂浴びたいところだ。

出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋
[写真2]芋松温泉
建築年・設計者不詳
京都市中京区壬生森町40-9
出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋

赤いレンガ工場と白い洋館事務所

七本松通りと山陰線にはさまれたNISSHAには、いろんなタイプのレンガ造りの工場がある。これだけまとまって残っているのは関西では珍しく、南側の正面入り口近くには、2階建ての旧事務所棟も見える。この工場は、元は綿ネルの製糸から織布までの一貫工場で、1,000名以上が働く大工場だった。まわりに集まったのは、市内から移ってきた京染め業者たちだ。当時、二条から壬生へかけては一大染業地帯だったのだ。

出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋
[写真3]NISSHA 本館
(旧日本写真印刷 本館、旧京都綿ネル会社 本社事務所)

出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋

三角出窓がかっこいい

壬生川通りを四条通りから北へ向かい、姉小路通り沿いの旧京都市立教業小学校は、正面の三角出窓がスマートでかっこいい。アールデコといっても良いだろう。出窓を含めてスチール製のサッシがほぼ残っているのも珍しい。アルミよりもスチールのほうが強度があるのでラインは細くなり、よりシャープな造形が可能だ。タイルも砂岩に似た感じの珍しいものを使っている。

出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋
[写真4]旧京都市立教業小学校
1932年 京都市営繕課
京都市中京区大宮通御池下ル三坊大宮町
出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋

和と洋の不思議な調和

堀川通りを越えて三条通りを東へ、新町通りを南へ向かったこの八竹庵は、京都を代表する呉服商美濃利の井上家住宅として建てられた。数寄屋大工の上坂浅次郎が手掛けた名建築である。玄関脇の応接間と2階洋間は建築家武田五一のデザインで、和風と洋風のデザインを混ぜた武田好みのインテリアを楽しむことができる。その後、建物は京染の襦袢メーカーであった川崎家の所有となった。川崎家は所有権を自社へ移し、襦袢美術館・紫織庵として活用してきた。2021年に町家再生を手掛ける「くろちく」が取得し、翌22年より八竹庵として公開されている。

出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋
[写真5]八竹庵(旧川崎家住宅)
1926 年 上坂浅次郎、武田五一
京都市中京区三条町340
出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋