京都には、世界各国の建築様式が用いられた古い建築物が数多く現存しています。街を歩くだけで、インド起源の装飾物のある市役所や、アールデコの橋、アメリカンゴシック様式の教会などをみながらお散歩できるルートがあるので、みていきましょう。著書『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版 』(エクスナレッジ)より、円満字洋介氏が解説します。
京都にインド起源の装飾物に覆われた建物がある⁉…京都だけにある「世界各国の建築様式」の建物を巡るおさんぽルート【専門家が解説】
京都市役所界隈は名建築がめじろ押し
市役所から北は、赤レンガの教会など見どころが多い地域だ。比較的町家も残っており、家具商の夷川通り、薬種問屋の二条通りなど、江戸時代以来の地域特性もよく残っている。市役所は何度か建て替えの話が持ち上がったが、結局そのまま使われている。最近の研究で、武田五一の弟子たちがインド様式を試したことが分かってきた。その後武田グループはより簡素で明るいモダニズムへと作風が移っていく。そのほうがよっぽど日本的だと思うのだが、1920年代のインド様式への熱狂も多少うらやましい。
インド起源の不思議装飾
ルート最初の京都市役所本館は、洋風とも和風ともつかない不思議な装飾に覆われている。それがどうやらインド起源らしく、伊東忠太の提唱した日本建築インド源流説の具体的なデザイン展開をやっていたらしいのだ。玄関ホールから中央階段室あたりはよく残っているので見ておくと良い。2021年に改修され免震化された。復元された正庁の間は、たまに公開されているが必見である。
日本的モダニズム
御池通りを渡って、寺町通りを南へ向かうと、仏教書関係の古書店書林其中堂だ。2階バルコニーの欄干は法隆寺そっくりだ。八木清之助は1929年京大卒だから、武田の生徒で、この建物は若いころの作品ということになる。武田は、生涯古社寺保存にたずさわったが、とくに法隆寺との縁は深い。1924年には法隆寺の防火設備工事にも関わっていたうようなので、これはその成果ともいえるだろう。武田グループはインド様式だけに熱中していたわけではないのだ。古建築への傾倒が、その後の武田グループのモダニズムを日本的なものへと向かわせたのだろう。
ひっそり残るアールデコ
河原町通りから東へ、高瀬川に架かる御池橋は、手すりのかさ上げをしたが、基本的には元のままだ。手すりのブロンズ製レリーフや幾何学模様の入った橋名板がよくできている。親柱は古いがブロンズ部分は戦後のものかも知れない。
山を象る象山碑
木屋町通りを高瀬川沿いに北へ向かうと、武田のデザインした佐久間象山碑がある。佐久間象山は松代藩出身の兵学者だったが幕末にこの地で暗殺され、親交のあった京都近代派の山本覚馬らがここに記念碑を建てた。わたしにはこの碑が「山」という字に見える。これは「山」を「象る」という武田一流の洒落ではないか。そう思うとそれ以外には見えない。武田はおもしろいな。