京都の中心は近代化のメインストリートだった⁉

条通りは近代建築の多く残る通りだ。祗園祭のメイン会場となる四条通りが町衆の通りであるのに対して、三条通りは東海道へ続くオフィシャルな京都の中心街といえる。だからこそ、日銀や郵便局、金融機関が集中しているのだ。三条通りと東洞院通りの交差点に郵便局が置かれたのは、明治初年のそこが京都の中心だったからにほかならない。逆にいえば、郵便局があれば、そこがその町の中心だということだ。建築探偵的な町読み手法である。

出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋
【写真1】京都文化博物館別館 出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋

京阪三条の待ち合わせ場所

京都最初のこのルートは、三条大橋東詰めの意外なものからスタートする。武田五一に限らず戦前の建築家は少なからず街路設備のデザインをしている。橋梁、街灯、噴水、記念碑、そうした要素が都市の街路の個性を作り出していた。この高山彦九郎像は戦後復元されたものだが、台座はオリジナルのままだ。

出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋
【写真2】高山彦九郎先生皇居望拝像台座
1928年 武田五一
京都市東山区三条大橋町三条京阪駅前
出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋

鴨川沿いの有名建築

高山彦九郎像から鴨川の対岸に見える先斗町歌舞練場は、劇場建築の名手と謳われた木村得とく三さぶ郎ろうの設計だが、武田が指導をしている。主に平面プランの指導をしたのだろう。この劇場は先斗町の通り側に舞台がある。通りに面して大道具の搬入口を堂々を見せる劇場というのは珍しかろう。そのおかげで鴨川側がホワイエになった。残念ながら鴨川側への増築で開放感は薄れたが、ホワイエを鴨川に開くのは京都をベネチアに見立てた考え方で、とてもおもしろい。※ホテル・劇場などの休憩室。エントランスから続くホールまでの大きな空間を指す

出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋
【写真3】先斗町歌舞練場
1927年 木村得三郎(武田五一設計顧問)
京都市中京区先斗町通三条下ル橋下町
出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋

高瀬川と建築の融合

木屋町通りから三条通りに戻る角のTime'sⅠ&Ⅱ。これほど大胆に高瀬川を使った建築は他にない。水面すれすれのテラスへ下りると、町の喧噪がふっと遠ざかる気がする。建物の内部は、ちょっとした迷路になっていて、やっぱりここもベネチアなんだと思う。都市は水辺を楽しむ文化を本来的に持っていて、武田たちはそれに取り組んでいたが、この建物はそのことをもう一度思い起こさせてくれる建築だ。

出所
【写真4】Time's Ⅰ & Ⅱ
1984、1991年 安藤忠雄/ 安藤忠雄建築研究所
京都市中京区三条通河原町下ル
出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋

武田の洒落心全開

三条通りを西へ、寺町通りを越えた左手の1928ビルは、洒落の好きな武田の作品だ。ここでは毎日新聞の社章を模した星型窓を見ることができる。よく見ると星の中に「毎」の字が読めるだろう。よくできているのは、この窓が開閉可能ということだ。友人の武田ファンによれば、武田の建築の特長は水平線の強調、バルコニー、あっさり感の3つだが、この建物にもちゃんとバルコニーはある。このバルコニーは祇園祭の山鉾巡行を采配する扇子をかたどっているとわたしは思う。

出所:
【写真5】1928 ビル(旧毎日新聞社 京都支局)
1928年 武田五一            
京都市中京区三条通御幸町海老屋町
出所:『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より抜粋