サルトルの「実存主義」とは

「実存哲学」という言い方を使ったのはドイツの哲学者ヤスパースの『現代の精神的状況』(1931)が最初なのですが、1945年からはサルトルの「実存主義」という言い方がヨーロッパ諸国で流行となり、1965年あたりまで続きました。  

流行の理由は、第二次世界大戦が終わった解放感による自由を求める気風、それまでの価値観の崩壊、多くの人が今後の指針を失っていたことなどだと思われます。  

さらに、多方面の分野で活躍していたサルトルのコピーライター的表現が、いかにも若い人たちのこれからの不安と輝かしさを象徴していたかのように響いたのでしょう。もちろん、スノッブな匂いのする流行でしたから、若者たちがサルトルの用語や思想を十分に理解していたわけではありませんでした。  

しかし、換喩(本書66頁参照)を効果的に使ったサルトルの言い回しは確かに彼の実存主義の内容をそのまま表現しているものが多いので、ここではそのいくつかを紹介して内容のあらましとしてみます。なお、『実存主義とは何か』は1945年にパリのクラブで行なわれた講演をもとに翌年に書籍となったものです。  

「実存は本質に先立つ」(伊吹訳以下同)

……実存とは、人間の現実のあり方を指します。ここでの「本質」とは、何か(たとえばペーパーナイフ)を制作するときの意図と目的、もしくは制作されたものの主な「目的機能」のことです。この意味での本質が人間にはありません。しかし、サルトルのいう実存とは、むしろ人間がみずから選択する主体性のことを表現していることが多くなっています。

「人間はみずからがつくったところのものになる」

……自分がどういう人間であるかはあらかじめ決められていないのですから、人は自分の行動の選択のたびに自分自身を決定づけていくことになります。それがまさしく、みずからを創ることなのです。しかし、そこには絶えず不安がつきまとい、その不安もまた行動の中に含まれています。そうして、「人間はおのれの運命の主人」となります。  

「人間は自由の刑に処されている」

……人間は、自分の行動によって自分を創る自由を持っています。しかし、何も行動しないことは無にならず、行動しないこともまた、行動しないという選択の行動をしていることになり、それもまた行動と同じく自分が責任を負わなければなりません。こういう自由はまさに刑のようですが、誰もここから逃げることはできないのです。