心の平静、精神的な快さを求める哲学

エピキュリアンという言葉は「美食家」という意味で使われる場合が今は多く、たまに「快楽主義者」という意味で使われます。しかし本来は、エピクロスの哲学を信奉する人のことをそう呼びます。

エピクロスの思想を伝える著作としてまとまったものはなく、残されているものは少しの教説と手紙類と断片だけです。それを集めたのが『教説と手紙』です。

エピクロスの哲学は一般的に快楽主義の哲学だといわれがちですが、快楽というよりもむしろ「自己充足を快い」とする哲学だといえます。あるいは、「平静な心(アタラクシア)を手にせよ」という教えです。

エピクロスは原子論などについても述べていますが、その論が不徹底であるため、彼独自の倫理学のほうがいっそうきわだっています。その倫理学の特徴は、物事を見極める方法をとります。たとえば、死については次のように認識します。

死が怖いのはいつかというと、自分が死を意識しているときです。死を意識していないとき、死は存在しないも同じです。災いが怖いのも、その災いを意識しているときです。

そしてまた、死は何ものでもないとエピクロスはいいます。

「死はわれわれにとって何ものでもない、と考えることに慣れるべきである。というのは、善いものと悪いものはすべて感覚に属するが、死は感覚の欠如だからである」(出・岩崎訳以下同)

したがって、死は存在せず、この生には何も恐ろしいものがないことになります。