平民からなり上がった“最強の論客”の教え

『義務について』はキケロが息子に宛てた手紙で高貴な生き方をするように説くという形をとって、人の義務について述べたものです。

ただし、義務といっても、それは社会とか政治体制から課される一種の強制を内側に含んだ義務のことではなく、人生における徳について述べたものです。

それは、知恵(知性、洞察、理解、など)、正義(自分の務めをはたし、信義を守ること、など)、勇気(高潔さ、屈しない精神、など)、節度(自分の言葉と行動の秩序と限度をわきまえること、など)の4つの徳であり、それら4つはみずからの行ないとして表すべきもの、実践道徳となっています。だからキケロは、「義務こそ節操のある立派な生き方を教える源泉」だというのです。

しかし、それは他人から立派だと認めてもらいたいがための徳ではありません。そうではなく、

「われわれの探し求める徳性である。たとえ尊ばれずとも立派であり、たとえ誰からも賞賛されずとも本性的に賞賛すべきだと正しくわれわれが言える徳性である」(高橋訳以下同)

ということになります。

この徳の実践は、自分の利益にあらがう場合もあります。キケロはこう書いています。

「恥ずべきことは決して有益ではないということを確固たることとしよう。それはたとえ、有益なものを獲得できるように思うときでも変わらない。というのも、恥ずべきことを有益だと考えること、まさにそのことが有害きわまりないのである」

これを一言にすると、有益に見えることを行なうときであっても、正しさを犠牲にすることがあってはならないというわけです。

要するにストイックな生き方をすることを勧めるのですが、それも当然のことで、そもそもストイックの語源は古代ギリシアから続く哲学のストア派からであり、キケロの思想もその系譜に連なっているからです。しかも、キケロはストア派中期の哲学者パナイティオス(前185頃~前109頃ディオゲネスの弟子で、ローマの貴族たちにギリシアのストア派思想を教えた。著作は残されていない)の道徳の教えに影響された形で書いています。