アランの言説は、日常に即したものが多く親しみやすいことから、現代でも多くの人に愛されています。アランが提唱した「幸福論」とはどのようなものだったのでしょうか? 著書『超要約 哲学書100冊から世界が見える!』(三笠書房)より、白取春彦氏が解説します。
“言語化のスペシャリスト”親しみやすいアランの『幸福論』
言葉という意味を持つ「プロポ」は、アランが当時の新聞や雑誌にコラムとして書いた文章で、その総数は5,000におよび、そのうちのいくつかを抜粋してまとめたものが一般的にはアランの『幸福論』として広く知られています。
もちろん、幸福についてのみ書かれているわけではなく、この日常で起きている事柄全般についてさまざまに言及しています。しかし、ふつうの人が一読だけで理解できないような哲学的観念や特定の思想をふりまわすことなど絶対にせず、いつも現実の物事に即して、誰もがうなずけるレベルの見解を述べています。そのため、読む人の時代が異なっていてもどの文章も古くならないのです。その意味で、いつまでも読みつがれる哲学エッセイとなっています。
デカルトを学んだアランは無神論者でしたが、だからといって、宗教をむやみに攻撃するわけではなく、宗教が人生に必要なものとして存在することを事実として認めていました。したがってアランは、真の宗教感情とは実在するものを愛することだと信じたいと述べ、その意味では、だれも宗教なしに生きることはできないのだと述べるのです。
宗教的な事柄以外についてもそういうふうに、アランは生活する人間の立場から、多くの人がなんとなく違和感を覚えていながらも言葉にできないでいることを言語化してみせたのです。