パリの若者を熱狂させたサルトルの「実存主義」とはどんなものだったのでしょうか。流行した背景と、サルトルが人気になった理由についてみていきましょう。著書『超要約 哲学書100冊から世界が見える!』(三笠書房)より、白取春彦氏が解説します。
サルトルの「実存主義」が若者を熱狂させたワケ
サルトルの実存主義ブームは、パリ6区のサン=ジェルマン=デ=プレ広場のカフェ界隈でだらしなく遊び暮らす若者をつくりだしました。彼らはサルトルの言葉のいくつかを知っているだけで自分を実存主義者だとみなしていました。それが文化的でカッコいいことだとされるほどの流行になったのです。
サルトルの分厚い『存在と無』(1943)など読んでいない若者にサルトルが愛好されたのは戯曲『蠅』(1943)の上演や小説『嘔吐』(1938)があったからであり、同時代のカミュ(1913・1960 カミュも実存主義者とみなされていたが、本人は否定している)の有名な小説『異邦人』(1942)が広く読まれていたことも影響していました。
また、サルトルとボーヴォワール女史の相手を束縛しない自由な恋愛、ホテルに住み、老舗のカフェ・ド・フロールで原稿書きをしつつ若者たちと議論をするサルトルの姿も人々の眼には新しい文化現象として映ったのです。実際、サルトルは「サン=ジェルマン=デ=プレの法王」と呼ばれていたほどでした。
若者たちは、「人間は未来を選ぶことができる」というサルトルの言葉によって、新しい時代から自分たちが認められたと思いこみ、わくわくとした雰囲気に酔っていたのであり、派手な文化人であったサルトルに憧れてもいたのです。そして、1980年のサルトルの葬儀には5万人が集まりました。要するに、サルトルの実存主義はわかりやすくポップな無神論思想としてもてはやされたわけです。
賢人のつぶやき 不安はわれわれを行動からへだてるカーテンではなく、行動そのものの一部
白取 春彦
作家/翻訳家