「おまかせ」という言葉にみる江戸前鮨の歴史

おまかせという言葉の本来の意味は「握りの順番を鮨職人におまかせする」というものでした。江戸前鮨では客が自分の好きな順番で握りを注文する“お好み”が基本で、それに対する形で、順番を鮨職人に委ねる“おまかせ”が生まれたからです。

江戸時代の文政年間(1818〜1830)に誕生したとされる握り鮨は、立ち食いの屋台で広まっていきました。

鮨の屋台は間口6尺(約180センチ)ほどしかなく、客が4〜5人も立てばいっぱいになってしまいます。だから数カンの握りを“お好み”で注文して手早く食べ、次の人に席を譲るのがマナーだったのです。その習慣は大正時代に鮨屋が店鋪になり、カウンター形式になってからも受け継がれ、客はずっとお好みで注文していました。

最近の店では見かけなくなりましたが、昔の鮨屋はこはだ、まぐろと鮨だねの名前を書いた木札を店内に掲げていました。客はそれを見て、その日のたねを知り、好きな順番で握りを食べていたのです。

おまかせが生まれたのは戦後になってから。流通が進歩し扱う鮨だねの種類が増え、客が魚の名前を覚えきれなくなったこと。そして銀座や日本橋に高級な鮨屋が増えたことがきっかけと考えられています。

高級店を接待や会食の場として使う時に、いちいちお好みで注文していると話が途切れてしまうので「適当なものを見繕って握ってくれ」という意味の“おまかせ”が浸透していったのです。

1980年代後半のバブル時代に“おまかせ”は広く普及し、一般的な言葉になっていきます。それでも僕の記憶では、2000年代の初め頃まで“お好み”と“おまかせ”の比率は半々ぐらいだったと思います。

この頃までは“おまかせ”は鮨に詳しくない初心者の注文方法であり、食べ慣れた客は“お好み”で頼むものという認識がありました。つまり“お好み”の方がかっこよかったのです。

こうした認識がどんどん薄れてきたのは2000年代半ば以降のこと。この頃から、握りがおまかせの中心でなくなり、おつまみの比重が高くなっていきます。