国内外問わず多くの人に愛される「江戸前鮨」の世界。いつしか「コースのみ」が主流になり、予算も3万円超えが当たり前になり、「この10年で大きく変わった」と、鮨評論界の第一人者であり、著述家の早川光氏はいいます。早川氏の著書『新時代の江戸前鮨がわかる本 訪れるべき本当の名店』より、お鮨屋さんでいまや当たり前となった「おまかせ」という言葉の由来について見ていきましょう。
きっかけは“旨くなった日本酒”だった
おまかせの中のおつまみの比重が高くなったきっかけ。それはちょっと意外に思われるかもしれませんが“日本酒が旨くなった”ことではないかと考えています。
江戸前鮨の世界で日本酒はずっと脇役の扱いでした。食通として知られる北大路魯山人が著書の中で「酒の飲める寿司ができたのは戦後である。戦前は茶で寿司を食っていた」と書いているように、屋台から広まった江戸前鮨では“酒を売らない”というのがひとつの決まりごとだったのです。
戦後になっても、鮨屋で酒を飲まない、飲んでも長居をしないことが“粋”とされる伝統はずっと続きました。なので名店とされる鮨屋ほど、日本酒は1〜2種類しか置かないことを矜持としてきました。
僕は今から20年近く前、2002年の初めにある雑誌で、銀座の鮨屋20軒を紹介する記事を書きました。今その記事を読み返すと、置いている日本酒の種類がすごく少ないことがわかります。
冷酒は『賀茂鶴』、燗酒なら『菊正宗』が定番で、日本酒好きに人気が高い『十四代』や『久保田』を置いている鮨屋はなんと1軒だけ。今のように全国の銘酒を10種類以上も揃えているという店は皆無です。
これはなぜかというと、握りだけならひと通り食べれば客は帰ってくれますが、酒を出すとおつまみで長居する人がいて回転が悪くなるからです。特に銀座では酒はバーやクラブに席を移してじっくり飲むものというイメージが強く、鮨屋で腰を据えて飲む客はほとんどいませんでした。
そうした慣習に変化が起きたのは“本格焼酎ブーム”が起きた2003年頃のことです。
それまで麦焼酎が中心だった本格焼酎(単式蒸留焼酎)市場に芋焼酎が参入し注目を集め、伝統的な常圧蒸留だけでなく減圧蒸留(低い温度の蒸留)の焼酎が普及し、クセのない味わいの焼酎が話題となりました。ブームの最盛期には焼酎を揃える鮨屋が増え、入手困難な銘柄を置く店に客が集まるといった現象が起きたほどです。
焼酎ブームはわずか数年で沈静化しましたが、その後も鮨屋と酒屋のつきあいは続きますから、焼酎のかわりに日本酒を置くようになります。
そして、それまで知らなかった酒蔵の日本酒を飲む機会が増えた鮨職人は、日本酒がかつてに比べて格段に旨くなっていることに気づきます。
日本酒が増えるとのおつまみの種類も増えます。熱燗より冷酒が合う日本酒であれば、それに合わせた温かい酒肴を客の側が求めるようになるからです。今までは刺身を切って出せば間に合っていたものが、そうはいかなくなる。
やがて凝ったおつまみを出す店が話題となり、おつまみと日本酒が充実した店が人気を集めるようになっていきます。