田舎暮らしならでは…地元民からの何気ないひと言
――忙しいながらも、充実した毎日を過ごしていた菅原さんですが、田舎ならではのエピソードも。
菅原氏「遠野に来て3年ほどのある日、地元のおじさんから『ヨソ者にもヨォ、賞味期限ってあんだよな。ワハハハ!』と言われたんです。『これはお前さんに当てたのではない』と前置きされたが、やはり自分のことだと受け取ってしまいました。
遠野は古くからの宿場町で、多くの旅人を受け入れてきた歴史があります。代々続く農家や商家、武家の末裔もある一方、毎年のように都会から老若男女の移住者もやってきます。それを面白がる気風が、遠野の人々にはあるのかもしれません。
賞味期限の切れたヨソ者とは、貶しているのか誉めているのか、おそらく、その両方を指しているのだと思います。すっかり地元に馴染んで話も通じやすい反面、面白味も無くなっている移住者だと言いたかったのかもしれません。できれば自分は親しくとも刺激的な人間でありたい……そんな思いがありました」
――人間関係が濃い田舎ならではの洗礼だったのかもしれません。このようなこともありながら、菅原さんは地元の人たちとも少しずつ親しくなり、縁から家を建てる土地にも巡り合えたといいます。1,000坪ほどの休耕地で、川沿いの平野から少し山間に入ったところ。木にこだわりを持つ地元の設計士や、大工さんにお願いして工事が始まりました。そのようなとき、東日本大震災が起きました。
菅原氏「沿岸の医療機関が軒並み被災し、遠野でも多くの患者さんを引き受けることになりました。町をあげての被災地支援活動が盛んとなり、折にふれ家族と参加しました。このことが、今も親しい関係が続く、多くの友人と知り合うきっかけにもなったんです」
農業に触れたからこそ知りえる人生の喜び
――東日本大震災から10年あまり。すっかり遠野での生活にも慣れたようです。
菅原氏「いまは新型コロナに翻弄されながらも、遠野での暮らしはやはり楽しく、感謝が尽きません。肝心の農業は自給自足には至らず、家庭菜園という水準ではありますが、畑のそばには鶏小屋があり、最近は妻が丹念に草や虫を取って手入れをしてくれています。
作物はジャガイモ、大豆、トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、サツマイモなど。2年前、カモシカの親子に大豆の大半を食べられたので、太陽電池式の牧柵(デンボク)を設置しました。タヌキ、キツネ、シカが出てくるのは日常茶飯事。クマも毎年のように近くの罠にかかるようなところです。
場所がいいのか、ブルーベリーだけは大した手間もかけずに毎年食べ切れないほど採れます。自分は週末に草刈りや薪作り、沢水水道の補修などを行っています」
――医師として働きながら、農業に携わる。忙しい日々を送っている菅原さんですが、その毎日は大きな喜びで溢れているといいます。
菅原氏「父母に移住の相談をした際、『そういう夢は子育てが終わってからでもいいのではないか』と言われました。しかし自分はむしろ、妻や子どもたちと一緒に農的な暮らしを始めたかったのです。お金や学校の勉強では得られない、生きるための知恵や力を育てたいという思いが強くありました。
自分の手足で畑を始めてみると、スーパーに年中あらゆる野菜や果物が並んでいることが際立って不自然に感じられるようになりました。農家が収入を増やすには、見栄えの良い、季節外れの作物を多く作ることが効率的であり、それには除草剤、殺虫剤、化学肥料、大きな機械と設備が必要になります。
一方で遠野には産直の店などが多くあり、旬に採れるものが少しずつ売られています。札には生産者の名前が書いてあり、直接の知り合いも少なくありません。私も、野菜はなるべく産直から、魚や肉も地元や近隣産のものを選んでいます。
食べ物や燃料をいつもお金で買っていると、この土地から得られるもので本当はどれだけの人が生活できるのか、実感は湧きません。私たちの暮らしは遠い国からやってくるもので溢れ、それが誰の手で作られ、どのようにして私たちのところにやってくるのか、想像することも難しいでしょう。小さくとも田畑を営み、薪を使って暮らしてみて、いくらかそうした実感が得られるようになったことは、大きな収穫です。
遠野はもちろん少子高齢化、人口減少の先頭を走る町のひとつですが、そこにある自然や文化の価値に気づいて頑張っている人がいます。無農薬で米や豆を作り、間伐をして山を守って暮らす人。伝統芸能を学び、継承していく人。農家民泊や青空市を通して、地元の魅力を発信し続ける人。地元民と移住者の交流から新しいアイディアが生まれ、暮らしの楽しみが生まれる……そうした人たちと遠野の未来を語ることもまた大きな喜びです」
菅原 卓
医師
岩手県立遠野病院
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