都営住宅、「桐ヶ丘団地」。建替えにより、コミュニティの崩壊、生活空間の変化…など、住民たちの生活はガラリと変えられてきました。ここでは住民へのインタビューとともに、「公用空間」と「庭」の実態を、文化人類学博士の朴承賢氏が解説していきます。※本連載は、書籍『老いゆく団地』(森話社)より一部を抜粋・再編集したものです。
禁じられていたが…都営団地の建替えで「庭」を失う高齢住民の悲哀 (桐ヶ丘団地N地区の公用空間の「庭」。腰を掛ける人のため、日よけをかけている 撮影年月:2010年6月 撮影者:朴承賢)

建替えが「庭」にもたらしたもの

また、自治会の仕事だとしても、個人的に丁寧に手入れをする住民もいる。しかし、公用地は個人的に利用できないという規則が徹底されており、空き地を利用した個人の「庭」は消えていた。それは、(私的)専有※2を許容する公用空間としてのコモンズ的公共性の消滅を意味する。

 

※2 コモンズ論における「専有」とは、公用空間の部分を私的(独占的)に使用することを指す。

 

個人の「庭」が消えたことに関しては、住民たちは「もう年だから」とあきらめている。しかし、建替え前後の対照的な「庭」の様子から見て取れるように、建替えの過程とは、空間を自分のものにしようとする想像力やそのための試みが無力化されていく過程でもあったといえる。

 

それは、長い間手入れをしてきた「庭」という慣れ親しんだ場所が失われたからではないだろうか。禁止されたことをしないのは、ただそれが禁止されているからではなく、その空間に対して、「専有」の意志を持てず、無関心にならざるをえない立場に立たされるようになったからではないだろうか。

 

この空間に時間が蓄積され、新しい想像力が発揮されることは可能であろうか。

 

 

参考文献

篠原聡子 2015 「東京マンションの展開と暮らし」『日常と文化』1:46-55 彰国社


朴承賢

啓明大学国際地域学部日本学専攻助教授