小学生の子に数学を理解させることは、容易ではありません。わからないせいで数学嫌いになる子も少なくないでしょう。ところが、台湾の天才IT相オードリー・タン氏の母・李雅卿氏が創設した「種子学園」では、ほとんどの生徒が数学好きになるといいます。いったい、どのような教え方をしているのでしょうか? ※本連載は、台湾の天才IT相オードリー・タンの母である李雅卿氏の著書『子どもの才能を引き出す』(日本実業出版社)より一部を抜粋、再編集したものです。
「10÷3はいくつ?」と聞くと、子どもが答えられないワケ (※写真はイメージです/PIXTA)

「10個の飴を3人で平等に分配するとどうなる?」

子どもはどうやって数学を学び取るのだろう? これはとても意味のあることだ。学習心理学ではさまざまな説があるが、種子学園の数学顧問たちもあれこれいろいろな考えを提議しては教師たちと討論を繰り返している。だが、私は数学の教師ではないので、この種の理論はいつも聞いているだけで終わっていた。それでも先生と子どもたちとの会話のなかには明るい輝きがあるのはわかっていた。

 

たとえば、8歳の宏宏(ホンホン)は今学期になってからの転校生だったが、来たばかりのときは大人にかなりの不信感を抱いていた。ほとんど口を開こうともしないし授業に対する意欲も低く、練習問題への興味などさらさらない。結果、先生は宏宏の授業内容の理解度を把握できなかった。

 

ある日、数学の先生はグラウンドの芝生でずっとぶらぶらしている宏宏を見かけた。バッタや池のカエルを見ているようだったので、話をしようと語りかけた。

 

「宏宏、先生は午前中、自然歩道でこんな褐色のカエルを3匹見たよ」。宏宏は振り返って先生を見た。先生は何もないふりをして話を続けた。

 

「ここの2匹を含めてもう全部で6匹見たことになるね」

「違うよ! 先生が見たのは5匹でしょう」

「すごいね! もし先生が5匹見て、君は7匹見たとしたら、2人で何匹見たことになるだろうね?」

「12匹だよ」

「もし1匹のカエルの脚が1本なくなったら、3匹のカエルは全部で何本脚がある?」

 

信じられないかもしれないだろうが、それ以降、動植物に関わる数学の練習問題があれば、宏宏はやる気を示してくれた。「何となくわかる」と彼は思っていたようだ。計算のしかたがわからない子と同様、「10÷3はいくつ?」と質問したら、彼にも答えられないだろう。

 

だが、「10個の飴を3人で平等に分配するとどうなる?」という質問なら、宏宏は3個ずつ各人に分けて、余った1個を先生に返すという答えはわかるのだ。

 

この種の「具象的内容から抽象的概念への思考の転換」はどのくらい時間がかかるのか? それは誰にもわからない。だが、時と場合によっては1回の授業だけで驚くべき変化が生じる。

自由に考えさせた結果、「数学の思考回路」が繋がった

10歳の芸芸(ユンユン)が割り算を習ったとき、10と1を使って具体的に考える必要があった。ある日、彼は9個の10と6個の1を絵に描いて「96÷4」の式を計算しようとした。まず8個の10の塊をつくって、2個ずつペアにした。次に残った1個の10の塊と6個の1をくっつけてから4個ずつに分解して、4個の塊をつくった。こうして「96÷4=24」の式を導いた。

 

芸芸なら具体的な計算方法を使って、何とか正しい答えを導けるだろう、と先生はわかっていた。だから彼に自由に試させたのだ。授業終了を告げる鐘の音の前に、なぜか突然、このちびっ子の頭の回路が通じた。もう絵を描くことなく、標準的な割り算の式を書けるようになり、答えも計算できるようになったのだ。彼は、それはもううれしくて教室のなかを走り回っていた。自分が理解したことによってもたらされた喜びは、本当に文字や言葉では表すことはできない。

「なぜその式になるのか?」という思考過程が必要

当然ながら難産のケースも存在する。佳仁(ジァレン)先生と日昇(リシャン)の数学に関する対話は、子どもの考えを尊重する先生がいかにしてさまざまな刺激を与えながら、子どもを少しずつ矯正し、数学の概念を揺るぎなく確立していくのかが、よくわかる。

 

これは分数の割り算に関しての先生と生徒との個別の対話である。なぜこの対話が必要になったかといえば、日昇が授業で習った「3/7÷1/2=6/7」のやり方にどうしても納得がいかなかったからだ。したがって、今回は「1÷7=1/7」のところから話し合いが始まった。

 

日昇は大きなケーキを切り分ける具体的な図を描いてから、「3/7=6/14」のところは受け入れた。次にそれを「3/7÷1/2=6/14÷7/14」と変化させ、さらに「6/14÷7/14=6/7」と変換したときに、日昇の頭の動きはストップしてしまった。彼にはどうしても「6÷7=6/7」が受け入れられなかったのだ。

 

彼の主張はこうだ。「6÷7=6/7」の式では、数字すべてが変化していないのに、どうしてそんな計算で答えを導き出せるのか? 彼は、式はこう書くべきだと言って、どうしても譲らなかった。

 

「3/7÷1/2=6/14÷7/14=6÷7=6/7=0.8571…」

 

佳仁先生は彼と一緒にゆっくりと復習を始めた。日昇が心から納得し、「3/7÷1/2=3/7×2/1=6/7」の式を受け入れたのはそれから1ヵ月以上もたってからだった。

 

昔、自分が数学を学習していたとき、こんな先生に巡り合えなかったことを、私はときどき本当に残念に思う。もし巡り合えていれば、今の私は「1/2÷1/4=2」の式がどうしてそうなるのかわからない、なんて状態にはなっていなかっただろうに――もちろん試験のときにはどう計算すればいいのかは知っていたし、答えも正しかったが。

「練習量」よりも「自分なりに考えること」が重要

子どもと一緒にこうした思考過程を経たことがない人には、思考の転換とその価値を感じ取れないだろう。これこそが、保護者から子どもの練習量を増やしてくれという要求に数学の先生が直面したときに、こう述べる理由でもある。

 

「私たちの数学科目では、子どもが彼らなりの数学能力を利用できることを望んでいるのです。自分でより優れた数学概念を構築することが必要で、素早く解答を導き出すことがいいとは限らないのです」

 

先生も標準的な解法を要求しない。したがって、本学園の子どもたちは自分の考え方から有効な解法を見つけ出そうと試みる。結果、ほとんどの子どもたちは数学が大好きになり、試験もこわがらないようになるのである。子どもたちも自然とそれが身についているようだ。本学園の数学学習の進度が速い子どもはほかの子どもの勉強を手伝ってあげるときに、直接、答えを教えることはない。質問形式や図案を描いて相手に解説するのだ。

 

あるとき、8歳の明明(ミンミン)は「なぜ、ある数を1/4で割った数字は、同じ数を3/4で割った数字の3倍になるのか」との疑問の答えを佳仁先生に得意満面な様子で報告に来た。彼の考えでは、1/4を1個の計算単位とみなす。そうすると、ひと塊のケーキ1個を1人の1/4にあげる場合、ひと塊のケーキ1個を3人の1/4にあげるときと比べて、前者のほうが1人あたりのもらえる量が多いに決まっているし、それは後者の3倍の量になるのだという。正しいでしょう!

 

明明の屈託のない顔つきを見ていると、彼がなぜ上級クラスで「30を言ったら負け」ゲームで何度も続けざまに負けた次の日、自信満々に敵討ちに来られたのかがわかる。ちびっ子明明は帰宅後、何時間も費やして、このゲームの数学的メカニズムを全部理解したのだ。そして再試合では、もちろんリベンジを果たした。

 

 

李 雅卿(リー・ヤーチン)