学校の引っ越しで「通学しにくい生徒」が発生
学園が信賢に移ってから保護者が子どもを送り迎えするのは、かなり無理なことになってしまった。車で往復2時間の路程は、時間に追われるように出退勤しなければならない保護者にとっては恐ろしい負担になった。貸し切りバスを使えばいいじゃないか、という向きもあるだろうが、30数名の子どもでバスの費用を分けるにしても、それを負担できる家庭はほとんどなかった。だが、私たちが必要としていたのはそこでの教育だった。どうすべきだろう?
学園が問題に直面したとき、いつも教師と保護者が話し合って解決策を模索してきた。話し合いの結果、引っ越しも1つの手段だということになり、10数軒の家庭が学校の移設に伴って付近の団地まで引っ越すことになったし、自家用車を持つ先生全員が、子どもの送り迎えを分担して受け持つことになった。その他、主要な交通網から外れて住んでいる、年齢が大きい子どもたちは公共のバスで烏来まで来て、先生の車がそこを通過するときに乗せてもらい、信賢まで来ることになった。
辰辰(チェンチェン)は4年生で、自宅はどの先生の車も通過しないところにあった。そこから烏来まで来るのにバスの乗り換えが二度も必要なだけではなく、信号もない大きな道路も渡らなければならない。通学時間が長いことも問題ではあったが、車内で眠ってしまったり、降りるバス停を間違えたりなどの安全面もひどく心配な問題として存在した。
「私たちの家に住んだらいいよ」。子どものために学校近くに引っ越した白雲(バイユン)のお母さんがそう言ってくれたおかげで、辰辰の通学問題はいったん解決した。
他人の家での寝泊まりはいくらか慣れないこともあったのだろう、辰辰はお母さんに家から通学させてくれと頼んだこともあった。だが、お母さんは外で暮らすのは週4日だけ、それに白雲のお母さんも辰辰にこんなによくしてくれる、何もわざわざ苦労することもないだろう、と思い、自宅からの通学を許さなかった。
白雲のお母さんも、辰辰に「住み心地はどう?」と聞いたが、物事をわきまえている辰辰はいつも頷くだけで何も言わなかった。夜になると、辰辰は白雲と一緒に宿題をしたり、将棋を指したり、遊んだり、家事も手伝ったりしていた。そうして1日1日が過ぎていったが、大人たちは誰も辰辰が本心ではいやがっていることに気づいてあげることができなかった。
辰辰が自宅通学できない本当の理由
ある日、白雲と辰辰はけんかを始めた。2人のけんかはなかなか終わらず、白雲はついに怒りのあまり言い放った。「ぼくがこんなにやさしく、おまえのことを家に住まわせてやっているのに、おまえはまだ…」。この言葉を耳にした辰辰の目から、涙が堰を切ったように流れ出た。
「おまえはぼくが好き好んでここにいると思っているのか? ぼくだって家に帰りたいんだ。だけどママがどうしても許してくれない。ぼくだって本当は人の家になんか住んでいたくない。車に乗って通学したいんだ」。
白雲のお母さんは辰辰の様子から、怒りのせいで吐き出した言葉ではないと感じた。子どもたちのけんかを収めると、次の日、学校へ行って辰辰の担任の先生にこのことを報告した。先生も理解を示した。
「それはそうでしょう。辰辰は私にも言ってきたことがありましたよ。彼は自分で登下校をしたいようです。だけど1つには彼のお母さんが安心できないということ、2つにはあなたの好意に背くのを恐れている、というわけで…」。
「先生は辰辰が自分でバスに乗って登下校することをどう思われますか?」白雲のお母さんが尋ねた。
「子ども自身に任せてみるのはどうでしょうか。辰辰がどうしてもそうしたくても、大人が賛同しなければいけないなら、彼だってもちろん言い出せないでしょうから。あの子の年齢、物事の対処のしかたから見るに、登下校はそれほど問題にはならないと思います。ここは1つ、お母さんたちで子どもにチャンスを与えてやるのはどうですかね?」と先生は提案した。
そこで、辰辰と大人たちは話し合い、まずは2日間だけ試してみることにした。次に2日間を1週間に延ばしてみたが問題なかったので、1週間後には1人での通学を決定した。こうして辰辰は家に戻り、1人でバスを乗り換えながら通学する子どもの1人になった。
ある日、白雲のお母さんは学校のグラウンドのほうから喜び勇んでやってくる辰辰を見かけ、彼がちょっと見ぬ間に背が伸びているのにハッと気づかされた。彼女は学校から戻ると辰辰のお母さんと、早く気づいたおかげで、大人の好意が子どもの成長の負担にならずに済んだことを話し合った。
わが子を潰しかねない…愛情の多くは「支配」の化身
子どもの成長過程を振り返ると、これに似た状況がよく起こってはいないだろうか? 大人たちはよく子どもにこう言う。「おまえ自身のためなんだぞ! だからああしろ、こうしろと言うんだ」「もしもおまえが、うちの子(あるいは生徒)でなかったら、こんなこと言うはずもないだろう?」愛情の多くが実際には支配の化身だということは、案外知られていない。
とりわけ親は、子どもに完全を求める傾向がある。もしも大人がこれを自覚していなければ、「よい動機によって逆に破壊的な結果が引き起こされる」といった残念なことも起こりうる。それゆえ、種子学園の先生は、子どもや同僚を手助けするなかで、徐々に敏感に察知する、受動的風格を備えるようになっていった。緊急の危険がある場合を除き、私たちは常に「助けを求める者が必要性を感じるとき」まで待って、そのときがきたら初めて手を差し伸べるのである。
「子どもを信じること」が保護者の役割
あるとき、何人かの子どもが学校の柱に登ったときには、保護者の1人が怒り心頭に発して学校の責任者に会いに来た。先生が誰も注意したり制止したりしなかったことに、保護者は文句を言いたかったのだ。先生の会議でこの件が話題に上ると、3人の先生が説明した。先生たちはすでにその柱の高さと子どもたちの能力から見て、何の問題も起きないはずだと判断していた、だから何もせずに見ていたということだった。
だが、「万が一」のことが起こったら? そう質問する人がいるかもしれない。それに対する私たちの考え方はこうだ。そんな仮定としての「万が一」に備えるために、子どもが自ら深く経験を積むチャンスを摘み取ってしまうことこそが賢いやり方ではない。ゆえに緊急の危険が存在する場合のみ、あるいはとりわけ精神的状況から見て矯正を必要とする子どもの場合のみ、大人は子どもが備えるべき相応の態度を確立するための手助けをする指導者、ひいては保護者としての役割を演じればいいのである。
その実、大なり小なりこの種の似たような考え方は、学園の大人たち(教師と保護者を含む)の心を常に取り巻いている課題でもある。
私たちは信じている。危険への鋭敏さ、強がらずに助けを求める習慣、それらを子どもたちに習得させることは、彼らの人生においてとても役立つということを。子どもたちに付き添いながらこの段階の成長過程を歩む私たちが、実際に子どもたちに教えることはあまりない。伝えたいことはただ1つ、この世界では誰かがきっと、あきらめず、離れず関心を持っていてくれて、彼らの歩む速度と足並みを受け入れてくれる、そして必要なときには手を差し伸べて助けてくれる、それだけなのだ。
李 雅卿(リー・ヤーチン)