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二人の出会いの場となった「金融版SNS」
渋澤 半分、冗談で言うのですが、私たちは出会い系サイトで知り合いました。
伊井 VMJですね。
渋澤 VMJというのは、Virtual Markets Japanの略で、私が他5名と2000年に立ち上げたコミュニティサイトのことです。インターネットを用いることで、金融機関に所属する人が、組織を越えて建設的な対話をしようという試みでした。
伊井 あれ、よく出来ていましたよね。今でいう金融版SNSでしたね!
渋澤 登録メンバーがすぐに1000名ぐらいに増えました。ただ、積極的にサイトで書き込みする人が少なかった。そのなかで、本当に少数ですが、積極的に書き込んでくれる人がいて、そのなかの一人が、「tetsuro」というハンドルネームの方だったのです。うれしかったな~(笑)。
伊井 私ですね(笑)。
渋澤 そう。それで、VMJのオフ会を開いた時に、初めて伊井さんと直接、お話しする機会を得たというのが、二人が出会うまでのストーリーです。
伊井 VMJの存在は、当時の私にとって必要だったのですよ。
渋澤 確か、当時の伊井さんはメリルリンチ日本証券にいたのですよね。
伊井 そうです。もともと社会人としては山一證券姫路支店での営業からスタートしたのですが、入社してすぐに「証券会社はダメかもしれない」と思うようになりました。幼馴染に会うと、「どうして伊井は証券会社なんかに行ったんだ」って、大勢から言われましたから余計にそう思いました。それも決して好意的な言い方ではない。
ご存じのように、山一證券は1997年に自主廃業したわけですが、自分なりにどうして破綻したのかを考えてみると、結局はお客様や社会からどうしても必要とまでは支持されていなかったことに尽きると思っています。
「本当にお客に必要とされている会社は、お客が潰させない」という、松下幸之助の言葉とは逆のことが起こったのです。
山一證券の顧客基盤はメリルリンチ日本証券が引き継ぎ、私もそこで働いていたのですが、2000年にITバブルが崩壊してからは、富裕層をターゲットにして、仕組債やヘッジファンドなど、より多くの手数料が取れるビジネスへと、営業方針が変わっていきました。何か違う、という違和感を覚えるようになり、社内よりも社外の人との交流を深めようとした時に出会ったのが、VMJだったのです。
「ヘッジファンドの伝道師」と呼ばれた渋澤氏だが・・・
渋澤 その頃の私は、ムーア・キャピタルという米国のヘッジファンドの東京事務所の代表で、そろそろ独立しようと考えていた時期でした。
伊井 独立してシブサワ・アンド・カンパニーを立ち上げたのが、確か2001年でしたね。
渋澤 そうです。40歳のときでした。日本の機関投資家に、米国のヘッジファンド、ベンチャーキャピタルファンド、PEファンドなど「オルタナティブ投資」を紹介するビジネスでした。当時、私はヘッジファンドの伝道師と呼ばれていたのですよ(笑)。それと会社を興したことと同時に三人の子供が続いて生まれたのが、自分の中では大きな転機になりました。現在の生活ということだけではなく、将来への持続性のことを考え始めたんですね。
自分が今抱っこしている小さな赤ちゃんはいずれ成人となって、親がつくった「枠」から飛び出して新たなチャレンジに取り組むはずだ。そのチャレンジする将来の子供の背中をちょっと押す応援資金をつくりたいと思ったのです。それじゃ、毎月、その日を楽しみに、こつこつと積み立てようと。
貯金でも良かったのかもしれませんが、子供の成長と共に子供の成長を応援する性質の資金ですから、成長性がある株式投資の方が適していると思ったのです。長期的な積立投資の効果を「仕事」としてではなく、一個人で実感したことが大きかったですね。「こんなに気持ちが良い投資があるんだ」といううれしい発見でした。
それと、時期は多少前後するのですが、2人の運用業界の著名人に出会ったことが、今の仕事につながるきっかけになりました。一人はさわかみ投信会長の澤上篤人さんで、直販系投資信託会社の始祖です。初めてお会いして話を聞いた時、投資信託でも自分の志を掲げるベンチャーになれるんだということに気づきました。
もう一人は、村上ファンドの村上世彰さんです。まだ、オフィスがマンションの部屋だった頃でした。村上さんは、日本企業を変えようとしたが官僚の立場では限界があるので経産省を辞め、これから株主として動くと熱く語ってくださいました。一つひとつの企業をきちんと見て、価値を高めようとする投資は悪いことではありません。ただ私が思うに時間軸が合わなかった。村上ファンドのように機関投資家の資金に頼ると、毎年のパフォーマンスを求められます。だから、どうしても短期的な成果を上げる行動を取らざるを得ず、それが対立という状況を招いたと思います。
個人のお金なら単年度主義ではありません。子供や自分の将来のための積立投資ならアクティビストのように敵対的な立場にならず、長期的に企業を良くするための対話が出来るはずだと考えました。また、2002年に経済同友会に入会したことで、経営者の視点から社会や資本市場を見る視野も広まりました。これらは皆、コモンズ投信を立ち上げる際のアイデアになりました。
証券会社時代、「買いたい」と思う投資信託は無かった
伊井 私は、まさか自分が投資信託ビジネスに関わることになるとは、考えてもみませんでした。証券会社にいると、株式でも債券でも運用するためのパーツは揃っていますから、わざわざ投資信託を買わなくても、こうしたパーツを組み合わせて自由にポートフォリオを組んだ方が良いし、そもそも自分自身でも買いたいと思う投資信託が無かったのです。
正直、渋澤さんから声が掛かるまでは、ブティック型の証券会社を立ち上げようと考えていましたし、実は中堅の証券会社数社から、社長にならないかという話もいただいていました。だから、渋澤さんから投資信託会社を作るという話を聞いた時も、渋澤さんたちが運用する投資信託なら自信を持って販売できるから是非、始めて欲しいと考えていたくらいでしたよ。
→中編に続く
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