人をお金で「勝ち組」「負け組」に分ける考え方の蔓延が、ひきこもりを増やし、長期化させているのではないでしょうか。不況時に欧米から取り入れられた「成果主義」は、日本人の民族性とは本来なじまないものなのではないか、と臨床心理士の桝田智彦氏は語ります。 ※本連載は、書籍『中高年がひきこもる理由』(青春出版社)より一部を抜粋・再編集したものです。
「勝ち組」に追いつめられて…ひきこもりと関係する“日本人の民族性” ※画像はイメージです/PIXTA

【関連記事】年金300万円、貯蓄5000万円…ゆとりのはずが老後破産の理由

ひきこもりを生む「勝ち組」「負け組」という考え方

一部の人たちをひきこもりへと追いつめ、そこからの脱出をむずかしくしているものは、雇用や貧困といった政治・経済の問題だけではありません。

 

多くの人たちが当たり前のこととして受け入れ、あるいは、受け入れざるをえない「考え方」もまた、ひきこもりの増加や長期化に結びついているように思います。

 

過剰な「自己責任論」のほかに、人々を追いつめ、ひきこもりに追い込んでいるのが、成果というものを唯一の尺度とする「成果主義」であり、生産性のみで人間の価値を測る「生産性至上主義」だと思います。

 

成果主義も生産性至上主義も人間の価値を数字のみで測るという点で根っこは同じでしょう。成果主義が欧米から日本に入ってきたのは、今世紀初頭のことでした。日本が不況にあえいでいた時期に、終身雇用制にとってかわるべき新しい経営スタイルとして大いにもてはやされたものです。

 

時期を同じくして流行った言葉に、「勝ち組」「負け組」があります。勝ち組と負け組を分ける基準は、結局のところお金です。お金持ちになれた人は勝ち組だし、非正規で貧しければ負け組として分けられます。

 

このような単純な区分けで人の勝ち負けを決めようとする感覚や神経は、成果主義や生産性至上主義とやはり根っこではつながっていると思います。

 

成果主義や生産性至上主義の主張は極論を言えば、成果をあげられなかったり、生産性が低かったりする人は「いなくていいです、退場してください」と言っていることにほかなりません。社会にこのような考え方が蔓延すれば、社会から疎外され、はじき出される人たちが数多く現れるのは当然でしょう。

 

そして、その一部の人たちがひきこもりとなってしまったとしても、不思議ではありません。