東京23区を中心に世帯年収1,000万円超の共働き家庭が増加する一方、慢性的な時間不足による子どもの孤食や家庭ケアの機能不全が顕在化しています。事例を見ていきましょう。※本記事に掲載している事例は、プライバシー保護および情報の一般化のため、実際の相談事例をベースに一部の数値や設定を変更・再構成したものです。
「お願い、仕事を辞めてくれ…」都内在住・年収600万円の36歳妻、年収650万円の38歳夫から告げられた「ひと言」で下した決断 (※写真はイメージです/PIXTA)

キャリアを手放す理由

「やりがいを取り戻した矢先、娘が胸に秘めていた思いを知りました」

 

都内の賃貸マンションで暮らす千早さん(36歳)。サービス企業の正社員として年収約600万円を稼いでおり、中小企業に勤める38歳の夫・巧さん(年収約650万円)と合わせ、世帯年収は1,250万円に達していました。

 

一人娘の愛美ちゃんが小学校に上がった一昨年の春、千早さんの生活は一変しました。勤務先の規定で未就学児までと定められていた育児時短勤務が終了し、フルタイム勤務へ完全復帰。マンションが最寄り駅まで片道15分かかることもあり、職場まではドアトゥドアで片道1時間かかりますが、重要なプロジェクトを任されるようになったことで、残業もこなせる環境にやりがいを感じていました。

 

一方、夫の巧さんの職場は業務量が多く、長時間労働が慢性化していました。平日の帰宅は早くても21時、繁忙期には終電間際になることもしばしば。お互いの両親は地方に暮らしており、それぞれ仕事や高齢の家族の介護を抱えているため、日常的なサポートを頼ることはできません。

 

周囲の保育園時代のママ友たちを見渡せば、実家の近くに住んで祖父母の支援を受けられていたり、下の子の育休や時短勤務を活用していたりと、子どものいわゆる「鍵っ子」生活に過度な負担を感じていないように見えました。頼れる身内が近くにおらず、夫婦ともにフルタイムで働く千早さん夫妻は、自分たちなりのやりくりで乗り切るしかありません。

 

平日の愛美ちゃんは、一人で過ごす時間が大半を占めていました。巧さんが朝6時、千早さんが7時過ぎに出勤してから登校までの約40分間を一人で留守番し、放課後は学童保育を利用。19時に学童から帰宅したあとは、千早さんが帰宅する21時過ぎまで、再び一人で親を待つ生活です。

 

夕食は、週末に千早さんと巧さんが週替わりで平日の作り置きを用意。愛美ちゃんは冷蔵庫からおかずを出し、一人で電子レンジで温めて食べるのが日常になっていました。「うちの子はしっかりしているから」「自立心が育っている」と、千早さんは自分に言い聞かせてきた部分もあるといいます。

 

ところが、ある土曜日の夜、巧さんから神妙な面持ちで切り出されます。

 

「千早、本当に言いにくいんだけど……。お願いだから、いまの仕事を辞めてくれないか」

 

唐突な言葉に、千早さんは思わず言葉を失いました。「なぜ私だけがキャリアを捨てなければならないのか」と反発の言葉が喉元まで出かかったとき、巧さんは理由を明かしました。

 

前夜、珍しく20時前に帰宅した巧さんに、愛美ちゃんがぽつりと漏らしたのだといいます。

 

「一人で食べるご飯がすごく寂しいの。……でも、ママには言わないで。ママ、お仕事すごく楽しそうだから、困らせたくないの」

 

その言葉を聞いた瞬間、千早さんの胸は激しく締め付けられました。仕事に熱中し、充実感を覚える陰で、わずか8歳の娘が母親の顔色を窺い、孤独を必死に押し殺していたという現実に、打ちのめされる思いでした。

 

「娘が我慢していることにも気づかず、私は自分の達成感ばかりを優先していたのかもしれない」

 

数日間にわたる葛藤の末、千早さんは一つの決断を下しました。フルタイム正社員としてのポストを退き、通勤負担のない在宅勤務が可能な契約形態へのシフトし、いずれは勤務時間の短い職種への転職を見据えて退職することにしたのです。現在は巧さんも、年収を落とさずに拘束時間が減らせる仕事に転職できないか、転職エージェントと相談しています。

 

「キャリアを手放す悔しさと怖さはあります。お金の面でも不安は大いにあります。でも、娘が一人きりで食卓に向き合っていた時間を思えば、いま一番優先すべきものはなにか、答えはひとつでした」

 

千早さんはそう語り、家族の生活リズムを一から立て直す道を選びました。