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孫より優先したもの
美紀さんの不満は、少しずつ積み重なっていました。翌日、浩二さんが出かける準備をしていると、美紀さんは尋ねました。
「今日も出かけるの?」
「うん」
「どこへ?」
浩二さんはしばらく黙り込んだあと、「ちょっと仕事」と答えました。
美紀さんは思わず「仕事!?」と聞き返しました。そこで初めて、夫が定年後も働いていたことを知りました。元の勤務先の取引先から声をかけられ、週5日、業務の手伝いをしているというのです。勤務時間は基本的に午前9時から午後4時ごろまで。たまに残業で遅くなることもあるそうです。基本給は18万円ほど。残業代でプラス5万円ほどだといいます。
「なんで言わなかったの?」
浩二さんは「言ったら反対するだろ」と答えました。美紀さんは、その言葉にさらに腹が立ちました。
「反対するかどうか、なんで勝手に決めるの!」
浩二さんは退職前から、会社を辞めたあとも何か仕事をしたいと考えていたといいます。35年間、朝から晩まで会社中心の生活を送ってきました。定年後、急に家にいる毎日になることに抵抗があったというのです。
「退職金も入るんだから、もう仕事を辞めたら。家のことをやってよ。孫も生まれるんだし」
そう勧めたのは美紀さんでした。しかし浩二さんは、何も言わないまま新しい仕事を始めていたのです。
「俺は、もう会社を辞めた。これからの時間くらい、自分で決めたい」
「反対されると思った」
浩二さんはそう話します。しかし美紀さんにしてみれば、反対するかどうか以前の問題でした。
「なんで現役で働いている私が、今まで通り、家事を全部しなきゃいけないのよ! さらに孫の世話まで大変なんだから」
国立社会保障・人口問題研究所『第7回全国家庭動向調査(2022年)』によると、妻が正規雇用であっても50.6%が家事の「8割以上」を担っており、妻が50代の世帯における夫の平日平均家事時間は39分と全世代で最短です。
さらに、同研究所『第16回出生動向基本調査(2021年)』では、第1子が3歳になるまでに祖母が育児の手助けをした割合は57.8%に上ります。
仕事や家事に加え、孫の世話まで抱えがちな妻。夫の定年後の生活設計には、役割分担を巡る夫婦の対話が不可欠といえます。