親の「思い出の詰まった我が家に住み続けたい」という望みや家族への依存は、同居する子どもの人生を重く縛り付けます。実家の老朽化や将来の介護負担が重なるなか、親子で共倒れしないためにはどうすればよいのでしょうか。ある母子のケースをみていきます。
「お願いします。この家を売ってください…」〈手取り月27万円〉45歳独身ひとり娘、同居する〈年金月13万円〉76歳母に懇願した「切ない理由」 (※写真はイメージです/PIXTA)

父の死後、一段と強くなった母の依存心

「お願いです。この家を売ってください」

 

田中真紀さん(45歳・仮名)が母の和子さん(76歳・仮名)にそう頭を下げたのは、仕事から帰宅した平日の夜でした。テーブルには、不動産会社が作成した査定書が置かれています。築49年の木造住宅。最寄り駅から徒歩12分という立地もあり、売却すれば2,800万円前後になる見込みでした。しかし、和子さんは査定書に目も通さず、首を横に振ります。

 

「私はこの家で死ぬって決めてるの」

 

その一言で話し合いは終わりました。真紀さんは独身です。メーカーで事務職として働き、手取りは月27万円ほど。父が亡くなった12年前から和子さんと二人暮らしを続けています。

 

父の看病もあり、一時的に実家に戻った真紀さん。父の死後、落ち着いたので自宅に戻ろうとしました。しかし、「お父さんもいないのに、一人にするの?」という和子さんの強い引き留めにあい、そのまま実家に残ることを選んだのです。

 

当時は、それが親孝行だと思っていました。生活費も自然に分担していました。和子さんは年金月13万円(手取り10万円)から食費や日用品代を負担し、真紀さんは光熱費や固定資産税、車検代など家全体にかかる支出を受け持ちます。

 

毎月の支出は、おおよそ22万円。真紀さんの給与からは、家計の不足分に加え、自身の老後資金として毎月10万円を積み立てていました。一人暮らしであれば、そのような余裕はありません。その点は和子さんにも感謝しているといいます。母と穏やかに暮らせるなら、それでいいと思っていました。

 

ところが数年前から、和子さんの言葉が少しずつ変わっていきます。

 

「今日は病院まで送って」

「買い物、一人じゃつまらないから一緒に来て」

「休みの日くらい家にいてよ」

 

最初は頼られているだけだと思っていました。ところが、休日に友人と出かけようとすると、決まって不機嫌になります。

 

「また出かけるの?」

「そんなに家にいるのが嫌?」

「私は一人で待ってればいいんでしょ」

 

責めるような口調ではありません。それでも、予定を取りやめたことは一度や二度ではなかったのです。会社の飲み会も断るようになりました。学生時代から続く友人との旅行も、「母を一人にできない」という理由で何年も参加していません。

 

「母は結婚してからずっと専業主婦でした。ずっと『お父さんがいないと生きていけない』と言っていた。依存体質なんです。その矛先が、私のほうに向かってきたのです」

 

内閣府『令和8年版高齢社会白書』によると、シニア層を対象とした国際比較調査において、同居の家族以外で日常の困りごとを頼れる人として「友人」を挙げた日本の高齢者はわずか13.7%、「近所の人」は12.9%にとどまり、ドイツやアメリカなどと比べて極端に低い水準となっています。

 

地域や友人とのつながりが薄い日本の高齢者は、同居する家族にすべての拠り所を求めがちです。結果として「密室化した親子関係」が生み出され、親の無意識の依存が、子どもの人生やプライベートを真綿で首を絞めるように縛り付けてしまう現実がデータからも透けて見えるのです。