1.なぜいま、熱中症対策が「企業責任」として強化されたのか
厚生労働省が公表した令和7(2025)年の「職場における熱中症による死傷災害の発生状況」によると、死亡者と休業4日以上の業務上疾病者を合わせた死傷者数は1,681人となり、前年から486人増加しました。死亡者数は15人で、建設業や警備業、製造業で多く発生しています。
職場で熱中症が発生する原因は、気温の高さだけでなく、作業強度や服装、休憩の取り方、暑さへの慣れ、持病、睡眠不足、作業者が異変を言い出しにくい職場風土など複数の要因が重なって発生します。
したがって、熱中症対策は「注意喚起のポスターを貼る」「水を置いておく」という段階にとどまらず、現場ごとに誰が・なにを・いつ・どのように判断し動くのかを明確に決める必要が出てきました。
2.令和7年6月から企業に義務づけられた「熱中症対策」の中身
こうした背景から、国は令和7(2025)年に労働安全衛生規則を改正し、事業者に対し職場における熱中症対策の強化を求めました。
新設された同規則第612条の2は、「暑熱な場所において連続して行われる作業等、熱中症を生ずるおそれのある作業」を対象としています。
施行通達では、この「暑熱な場所」とは「WBGT(湿球黒球温度)28度以上、または気温31度以上の環境」を指し、そこで1時間以上継続して行われる作業、または1日4時間を超えて行われることが見込まれる作業」が義務の対象になると示されています。
屋外の固定作業場に限らず、出張先や複数の作業場を移動しながら行う作業、さらには移動中も含まれ得る点が、実務上の重要なポイントです。
義務の柱は、大きく2つに分けられます。
1.報告体制の整備と周知
1つ目は、熱中症の自覚症状がある作業者、または熱中症のおそれがある作業者を発見した者がその旨を報告できる体制を整え、その内容を関係者に周知することです。
単に「体調が悪ければ言ってください」と伝えるだけでは不十分で、報告先や連絡方法、責任者不在時の代理者、夜間・休日・移動中の連絡手段など、現場の実態に合わせて具体的に決めておく必要があります。
2.対応手順の整備と周知
2つ目は、熱中症が疑われる者を発見した場合の対応手順を、作業場ごとにあらかじめ定め、周知しておくことです。
作業から離脱させる、身体を冷却する、必要に応じて医師の診察や処置を受けさせる、緊急連絡網や搬送先医療機関を確認するなど、実際に使える形で手順を整備しておくことが求められます。
ここで注意したいのは、対象者が「労働者」に限られない点です。施行通達では、当該作業に従事する者には、労働者と同じ場所で作業する労働者以外の者、たとえば一人親方なども含まれるとされています。
建設現場のように元請・下請・協力会社が混在する現場では、元方だけでなく関係請負人にも措置義務が生じ得ます。自社の従業員だけを見ていればいいわけではありません。
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3.「水分・塩分補給」だけでは足りない
実務では、熱中症対策というと「水分補給と塩分タブレットの配布」といったレベルにとどまるものだと誤解されがちです。もちろん水分・塩分補給は重要ですが、厚生労働省の「熱中症予防基本対策要綱」では、WBGT値の活用や作業環境管理、作業管理、健康管理、労働衛生教育、救急処置を総合的に講じることが求められています。
作業環境管理・作業管理・健康管理における主な対策は次のとおりです。
■作業環境管理
直射日光や照り返しを避けるための屋根・日よけの設置
通風の確保、冷房設備の活用
涼しい休憩場所の確保
身体を冷やすための設備・物品(冷却ベスト、氷、ミスト等)の整備
■作業管理
連続作業時間を短くする
身体作業強度の高い作業は気温の低い時間帯に行わせる
暑熱順化の期間を設ける(新規入職者・久しぶりの作業者への配慮)
計画的な休憩の確保
WBGT値に応じた作業中止・制限の判断
■健康管理
糖尿病、高血圧症、心疾患、腎疾患など、熱中症リスクに影響する既往症の把握
睡眠不足、朝食未摂取、前日の飲酒、体調不良など、当日の健康状態を踏まえた作業配置
高齢者、暑熱順化が不十分な者、体力低下が見られる者への配慮
作業者本人が自覚症状を申告しやすい環境づくり
高齢労働者や新入社員、久しぶりに現場に戻る方は、本人が「大丈夫」と言っていても、暑さに十分慣れていない可能性があります。事業者はこうした人々に積極的に声をかけ、暑さを避けた場所の提供や休憩の声かけなどを行う必要があります。
宮崎労働局の「職場における熱中症の発生状況」によると、令和6年で宮崎県における熱中症の発生者数は合計152人でした。年代別では20歳代が35人と最も多く、全体の23.0%を占めています。そのほかの年齢別は下記のとおりです。
■令和6年 年齢別熱中症発生割合(宮崎県)
30歳代……30人(19.7%)
50歳代……29人(19.1%)
40歳代……22人(14.5%)
60歳代……20人(13.2%)
70歳代以上……9人(5.9%)
10歳代……7人(4.6%)
上記をみると、20歳代から50歳代までの現役世代で全体の約76%を占めており、熱中症対策は高齢者に限らず、通常の現場作業に従事する幅広い労働者を対象に講じる必要があるといえます。
さらに、教育と周知も欠かせません。現場の管理者が熱中症の症状や予防方法、緊急時の救急措置を理解していなければ、いざというときに「少し休ませて様子を見る」という判断に流れがちです。
しかし、熱中症は一見回復したように見えても、帰宅後に症状が悪化することもあります。医療機関への搬送や救急隊要請を迷う場合は専門機関や医療機関に相談するなど、判断を先送りしない体制づくりが重要です。
4.中小企業が直面する「現実的な壁」
このように、国をあげて熱中症対策の制度化が進む一方で、中小企業からは「空調設備なんてすぐに入れられない」「人手不足で休憩を増やしにくい」「現場ごとに環境が違い、ルールを作りづらい」といった声が聞こえてきそうです。
また、ベテラン社員ほど「昔は根性で乗り切った」という感覚が残っており、若手や非正規社員が体調不良を言い出しにくい空気がある職場も少なくありません。
しかし、今回の義務化は、企業に対して一律に"完璧な設備投資"を求めるものではありません。重要なのは、現場の実態を踏まえ、合理的に実施可能な体制と手順を作り、それを作業者が理解し、実際に使える状態にしておくことです。
たとえば、下記のような対応が考えられます。
・朝礼で当日の暑さ指数と休憩予定を共有する
・管理者が1時間ごとに巡視する
・LINEやチャットで体調確認をする
・搬送先病院と責任者の連絡先を掲示する
こうした小さな取組でも、現場任せの状況からは確実に脱却できます。「決まりはあるが誰も知らない」状態にしないことが大切です。
以下のように、難しい制度設計よりも、責任者・判断基準・連絡方法・記録の取り方を明確にするところから始めると実行しやすくなります。
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5.対策を怠ると、最悪の場合「企業存続危機」の可能性も
では、もし対策を怠った場合、どのような問題が生じるのでしょうか。
熱中症対策を講じていなかった場合、まず「労災」としての問題が生じます。業務中の熱中症が労災として認定されれば、休業補償や療養補償の対象となる場合があるほか、企業が必要な安全配慮義務を尽くしていなかったと判断されれば、民事上の賠償責任を問われる可能性もあります。
法令面でも、改正安衛則に基づく体制整備・手順作成・周知が不十分であれば、労働基準監督署の調査において是正指導や是正勧告を受ける可能性があります。労働新聞が報じた富山労働局の事例※のように、施行後は実際の監督指導でも熱中症対策が確認対象となっています。
※ 労働新聞社「10現場が体制不備 熱中症対策で是正勧告 富山労働局」
さらに、熱中症事故は社内外への影響が大きい災害です。事故が起きた場合、元請や発注者から管理体制を問われるだけでなく、「危険な現場」と判断され採用活動に支障が出たり、従業員の家族から不信感を持たれたりなど、さまざまな波及的な影響が考えられます。
このように、事故が起きてしまってから発生するコストは、予防にかけるコストよりもはるかに大きくなります。
6.国が用意する助成策を活用するという手も
熱中症対策に取り組みたいが、設備投資の費用が課題という企業も多いでしょう。実は、国はこうした企業を支援するための助成金制度を用意しています。ここでは、中小企業が活用しやすい代表的な2つの制度を紹介します。
1.エイジフレンドリー補助金「熱中症対策コース」
熱中症予防に対する助成策として、国では高年齢労働者の労災防止を支援する「エイジフレンドリー補助金」制度を設けています。
この補助金には複数のコースがあり、そのひとつである「熱中症対策コース」では、60歳以上の高年齢労働者が暑熱環境下でも安全に働けるよう、体温上昇を抑えるための機器・装備の導入費用が補助対象となっています。
具体的には、下記のような機器が想定されています。
・移動式スポットクーラー(作業場または休憩場所に設置)
・ミストファン
・アイススラリーや保冷剤を冷やすための専用冷凍ストッカー
・深部体温の推定機能を備えたウェアラブルデバイスによる健康管理システム
特に中小企業では、空調設備の全面改修までは難しくても、現場単位で使える冷却機器や体調管理機器が導入できれば、現実的な熱中症対策を進めることができるでしょう。
ただし、エイジフレンドリー補助金では、年度によって下記のものが対象外とされる場合があります。
・保冷剤
・WBGT指数計
・扇風機・送風機・サーキュレーター
・保冷温庫
・遮熱塗装工事
実際の申請にあたっては、必ず該当年度の募集要項やQ&Aで対象経費を確認するようにしましょう。
2.65歳超雇用推進助成金「高年齢者評価制度等雇用管理改善コース」
また、65歳超雇用推進助成金の「高年齢者評価制度等雇用管理改善コース」も、高年齢者の雇用管理制度の整備に伴う機器等の導入を支援する制度です。
シニア層が無理なく働き続けられる職場環境を整えるという観点から、熱中症対策は単なる季節的な安全対策ではなく、高齢者雇用の継続や人材定着にも関わる実務課題として位置づける必要があります。
7.暑さ対策は"福利厚生の延長"ではなく「経営課題」に
これまで暑さ対策は、作業服や飲料の支給といった"福利厚生の延長"として扱われることも少なくありませんでした。しかし、今回の義務化により、熱中症対策は企業が担うべき安全衛生管理そのものへと位置づけが変わりつつあります。
若い世代ほど、「安全に働ける職場かどうか」を重視する傾向があります。人手不足が続くなか、暑い環境で無理をさせる職場や、体調不良を言い出しにくい雰囲気のある職場は、採用や定着の面でも不利になります。
反対に、暑さ指数を見える化し、休憩を取りやすくし、体調不良者を責めずに早めに離脱させる職場は、従業員にとって安心して働ける環境として若い働き手にとっても魅力的に映るでしょう。
熱中症対策は今後、夏季に限らず、気候変動の状況によって季節を問わず必要になります。
中小企業であっても、今回みてきたように作業計画や人員配置、教育、現場コミュニケーションなどできることは多くあります。現場任せにせず、会社として「見つける、判断する、対処する」仕組みをつくることが大切です。
予防体制の整備が企業価値を高める
令和7(2025)年6月からの職場における熱中症対策の強化は、企業に対し、熱中症の芽をいち早く見つけ、重篤化させないための具体的な体制と手順を求めるものです。
事故が起きてから対応するのでは遅く、予防の仕組みを整えることが、労災防止だけでなく、人材確保や企業評価にもつながります。
暑さ対策は、これからの企業にとって「コスト」ではなく、従業員を守り、事業を継続するための投資と捉えるべきです。
〈参照・出典〉
厚生労働省「令和7年「職場における熱中症による死傷災害の発生状況(速報値)」を公表します」
厚生労働省「職場における熱中症予防情報」
厚生労働省「職場における熱中症対策の強化について」
宮崎労働局「職場における熱中症の発生状況」
労働新聞社「10現場が体制不備 熱中症対策で是正勧告 富山労働局」
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