離れて暮らしていた親子が、親の高齢化を機に同居を始める——。その選択は、愛情や責任感から生まれるものです。ところが、長く別々に暮らした分だけ、互いの「当たり前」は違っています。食事のこだわり、お金の使い方、他人への拒絶……。固まった生活スタイルと、それを受け止める負担は、3年という時間をかけてゆっくり限界に近づいていきました。※事例の人物名はすべて仮名です。
「お母さんとは無理です」…年金月14万円79歳母との同居、51歳一人娘が〈3年〉で限界を迎えたワケ (※写真はイメージです/PIXTA)

母との30年ぶりの同居

ミクさん(51歳)が母・コハルさん(79歳)の実家に引っ越してきたのは、3年前のことでした。

 

数年前に離婚を経験し、一人暮らしをしていたミクさんは、コハルさんが実家の階段で転倒して腰を痛めたと聞き、「母も高齢だし、そろそろ一人暮らしは危ない」と判断しました。コハルさんは父が亡くなって以来一人暮らしで、受給する年金額は月14万円。持ち家のため家賃はかかりませんが、食費・光熱費・医療費を賄うには決して余裕のある額ではありません。

 

「私が一緒にいれば、お金も手間も節約できる」。ミクさんは、当初そう考えていました。しかし同居がはじまって最初の1週間で、その見通しが甘かったことを思い知らされます。

「これじゃないとダメ」が積み重なっていく

コハルさんには、生活における至るところで強いこだわりがありました。

 

まず食材です。「他人が下処理した海老は食べられない」「豆腐はあの店のものじゃないと食べられない」。豆腐のお店は、昔実家の近所にあったのですが、移転して現在は電車で片道30分、徒歩も含めると往復2時間近くかかる場所にあります。ミクさんが近所のスーパーで代わりの商品を買ってきても、「味が違う」と手をつけません。食材が無駄になることも一度ではありませんでした。「年金暮らしのくせに、グルメなこと言ってる場合?」そんな強い言葉がミクさんの口から出てしまい、たびたび口論になることも。

 

お金のこだわりも独特でした。「私の部屋は小さいんだから、光熱費は少なくていいでしょ」と主張し、毎月の生活費の負担割合について独自の計算を持ち出してきます。しかし実際には、ミクさんは仕事があるため家を空けていることも多く、リビングも台所もコハルさんが一番長く使っており、ミクさんが多くを負担する構図になっていました。

 

母には年金しかないのだから、自分の負担が大きくなるのは仕方ないとしても、ミクさんが一番許容できなかったのは、毎月欠かさない菩提寺へのお布施でした。金額は3万円。「これだけは絶対に削れない」と言い張ります。ミクさんが「相場は数千円って聞いたよ。うちはお金持ちでもないのに、いくらなんでも多すぎるよ。少し減らすことはできないの?」と提案すると、コハルさんは声を荒げました。「あんたには関係ないことよ」。

 

大学を卒業してから実家を出て、物理的な距離があったためにこれまで上手くいっていた母娘関係。「あぁ、そうだった。母はこういう人だった」と再認識することに。約30年一緒に住んでいなかったことから、ミクさんが短所に感じる母のこだわり屋な一面を忘れていたのです。

「知らない人は家に入れたくない」

1年が過ぎるころ、コハルさんは要支援の認定を受けました。ケアマネジャーからは、週2回のヘルパー利用を勧められます。ミクさんにとっては朗報でした。自分が仕事から帰るまでの時間をヘルパーに任せることができれば、残業を増やしてもう少し働くことができるかもしれない、と思ったからです。

 

しかしコハルさんは首を縦に振りませんでした。「知らない人を家に入れるのは嫌。あなたがいるんだから、それで十分でしょ」。

 

その一言で、ミクさんの選択肢は消えました。やむなく正社員から時短勤務に切り替え、月収は約8万円減りました。コハルさんの年金14万円に、ミクさんの手取りを合わせてようやく生活が回る状態です。自分自身の貯蓄は、同居からの3年間でおよそ250万円減っていました。

 

限界が来たのは、ある朝でした。コハルさんが腹痛を訴えたのです。ミクさんはすぐに近くのクリニックへ連れていこうとしましたが、コハルさんは「かかりつけの先生以外はイヤ」と動こうとしません。かかりつけ医の診療は週3日で、その日は休診日でした。「明後日まで待てばいい」と言い張るコハルさんに、ミクさんは疲れ果ててしまいます。

 

後日、ケアマネジャーに電話をかけたミクさんは、声を詰まらせながら言いました。

 

「お母さんとは、無理です」