想定外の出費、続々
もちろん、この時点で佐伯さんの生活が苦しくなったわけではありません。4,000万円あった金融資産は3,500万円ほどになりましたが、「教育のために使うお金なら惜しくない」と考えていました。
ところが、その後も教育資金の支援は続きました。
次男家の孫が私立中高一貫校への進学を希望していることを知ると、求められたわけではありませんが、長男家と同じ額を援助をします。
「長男だけ援助して、次男を援助しないわけにはいきません」
さらに長男家の次男、長女、次男家の長女と、続々と教育資金の名目で援助していきます。孫は計5人。佐伯さん、「教育に差をつけるわけにはいかなかった」と言います。
ただ教育資金の援助だけであれば、何とかなりました。
「年寄り一人ですから。将来を見据えても、それほどお金はかからないから大丈夫だ――そう思っていました」
その後も、想定外の支出が続きました。大きかったのは住宅関連。定期的なメンテナンスに加えて、給湯設備の交換や外壁補修が必要になりました。こちらは総額で約450万円かかりました。
生活費は年金で何とか賄うものの、冠婚葬祭費など、ちょくちょく大きな出費が発生。貯蓄を取り崩して対応していきます。古い家電は、まるで意思でもあるのか、同じタイミングで故障し、何十万円という出費に。そしてこの数年は物価上昇も続いていました。
通帳を見て青ざめた日
そして、75歳になった春。健康診断で異常が見つかります。大腸がんでした。幸い早期発見でしたが、手術と継続的な通院治療が必要になりました。高額療養費制度があるため、医療費のすべてを自己負担するわけではありません。それでも現実にはさまざまな出費が発生しました。
差額ベッド代、通院交通費、食事代、体力低下による家事代行サービスの利用――これまで意識していなかった支出が次々に増えていったのです。
ある日、佐伯さんは預金残高を改めて確認しました。そこで現実を突きつけられます。
「まだ余裕があると思っていたのですが……」
預貯金は500万円ほど。これが全財産でした。教育資金の援助、住宅の修繕、物価上昇による生活費の増加、自分自身の病気――どれかひとつなら問題なかったかもしれません。しかし、資産は想像以上のスピードで減っていたのです。
幸い、今のところがんの再発はありません。しかしいつ何が起こるかわかりません。平均寿命が延び、90歳を超えて生きることも珍しくない時代です。この先を考えると、「自身の医療費が払えない」という未来も現実味を帯びています。
「お金を出したことを後悔していません」と佐伯さん。ただ「教師だったこともあり、“教育”となる身の丈以上に援助をしてしまった。見栄……だったんだと思います」と反省を口にします。