老後設計の基準となり得る「ねんきん定期便」。しかし、そこに書かれた見込み額をそのまま信じてリタイアを決めてしまうと、数年後に思わぬ壁にぶつかるかもしれません。本記事では、FP事務所MoneySmith代表の吉野裕一氏が、佐藤健司さん(仮名)の事例とともに公的年金の注意点について解説します。※個人の特定を避けるため、事例の一部を改変しています。
「ねんきん定期便の金額より多くもらえた!」年金月16万円の65歳元サラリーマン、日本年金機構からの〈年金決定通知書〉に喜びも束の間…〈同封のハガキ〉に我が目を疑ったワケ【FPの助言】 (※写真はイメージです/PIXTA)

「年金決定通知書」と一緒に届いた「年金振込通知書」を見て呆然

誕生日を過ぎて1ヵ月ほど経ったころ、佐藤さんのもとに年金証書と「年金決定通知書」が送られてきました。中身を確認した佐藤さんは、思わず声を上げます。そこに書かれていた支給額は59歳のときにねんきん定期便で見た「15万円」という数字よりも増えていたのです。

 

年金制度には、物価や現役世代の賃金の変動に合わせて年金額を改定する仕組みがあります。日本年金機構のホームページでも公表されている年金額の例を見ると、標準的な厚生年金の夫婦世帯の例では、令和3年度の「22万496円」から令和8年度には「23万7,279円」へと、この5年間で7.6%も額面が増加しています。佐藤さんの年金が増えていたのも、近年の物価や賃金の上昇が反映されたためでした。

 

「想定より多くもらえるじゃないか」と胸をなでおろした佐藤さんでしたが、真の衝撃は、同封されていたもう一枚のハガキ――「年金振込通知書」を開いた瞬間に訪れました。

 

年金振込通知書とは、額面の金額から所得税や住民税、社会保険料などが差し引かれた、実際に振り込まれる額が記載されている書類です。ハガキに印字された数字を見た佐藤さんは、あまりの少なさに我が目を疑いました。

 

額面は増えていたはずなのに、一体なぜ、佐藤さんの手取り額は減ってしまったのでしょうか。

額面増でも手取りが減る?「社会保険料天引き」の落とし穴

佐藤さんの場合、所得税や住民税自体は非課税の枠内に収まっていました。しかし、それらを帳消しにするほど重くのしかかってきたのが、年金からの「社会保険料の特別徴収」です。

 

まず差し引かれていたのが、65歳以上のすべての国民に支払い義務が生じる「介護保険料」でした。介護保険料の料率は自治体によって異なりますが、厚生労働省の「第9期介護保険事業計画期間における介護保険の第1号保険料及びサービス見込み量について」によると、全国平均で6,225円と令和6年~8年度は過去最高額を更新しています。

 

さらに、「国民健康保険料」の天引きへの切り替えです。それまで佐藤さんは、会社員時代の健康保険から切り替えた国民健康保険料を、自治体から届く納付書を使って窓口や口座振替で支払う「普通徴収」で納めていました。しかし、世帯主を含む世帯員全員が65歳以上になるなど一定の要件を満たすと、健康保険料は個人の意思とは関係なく、年金からの「特別徴収(天引き)」へと強制的に切り替わる仕組みになっています。

「マクロ経済スライド」とは?

佐藤さんが経験した「額面は増えているのに、どこか生活が苦しく感じる」という現象の背景には、日本の年金制度が抱える構造的な仕組みが関係しています。

 

2004年の制度改正により、2005年4月からは「マクロ経済スライド」という仕組みが導入されました。これには、物価や賃金に連動はするものの、被保険者数の減少率(3年平均)と長寿化に対応するスライド調整率の0.3%(定率)が引かれた制度が採用されています。物価や賃金が上昇すれば、年金額も上昇しますが、年金額の上昇率は抑えられるため、「所得代替率」という現役世代の手取り平均額と年金額の比較で年金額の水準を低下させることになるのです。

 

2024年の財政検証では、現役男性の手取り平均額に対する年金額の割合を示す「所得代替率」は61.2%となっていますが、過去30年の経済状況を反映したシミュレーションによると、マクロ経済スライドの調整が終了すると予想される2057年には、この数字が50.4%に低下するというシミュレーションになっています。

 

仮に現役世代の手取り平均を30万円とした場合、2024年の基準であれば「18万3,600円」相当の購買力があった年金が、2057年の基準では「15万1,200円」相当にまで実質的に目減りしてしまうことを意味します。今後、日本でインフレが続くとしても、年金だけで物価高に対抗していくことには構造上の限界があるのです。

 

60代以降の働き方とライフプランの再構築

こうしたなかで、今後セカンドライフの家計をどのように準備すればよいのでしょうか。

 

一つのポイントは、60歳以降の「働き方と社会保険の選択」にありました。佐藤さんは60歳からの5年間を週5日のアルバイトとして過ごしましたが、この期間に厚生年金に加入しない(雇用保険や労災のみの)働き方を選んだため、65歳以降の老齢厚生年金の受給額をそれ以上増やすことができませんでした。もし60歳以降も厚生年金の被保険者として働き続けていれば、在職老齢年金の仕組みに注意しつつも、将来受け取る年金額を確実に底上げすることが可能だったのです。

 

長らく「失われた30年」と呼ばれたデフレの時代が終わり、これからの日本はインフレを前提とした資産形成やライフプランを真剣に考える必要があります。政府が「貯蓄から投資へ」と舵を切り、新NISAやiDeCoといった税制優遇制度を整備しているのも、公的年金を補完する自助努力を促すためです。

 

老後の資金計画を立てる際は、「ねんきん定期便」に記された見込み額をそのまま手取りとして過信しないようにしましょう。そこから必ず差し引かれる税金や社会保険料、そして未来の物価変動までを見据えたマネープランを構築することがセカンドライフを守るうえで重要です。

 

〈参考〉

日本年金機構:令和8年4月分からの年金額

https://www.nenkin.go.jp/oshirase/taisetu/kojin/2026/202604/0401.html

日本年金機構:令和3年4月分からの年金額等について

https://www.nenkin.go.jp/oshirase/taisetu/2021/202104/202104nenkingaku.html

厚生労働省:令和6(2024)年財政検証結果レポート

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/nenkin/nenkin/zaisei-kensyo/R6suuri_report.html

 

 

吉野 裕一

FP事務所MoneySmith

代表