(※写真はイメージです/PIXTA)
独身を貫いた、献身の歳月
やがて時は流れ、清子さんは一度も結婚をすることなく、独身のまま年齢を重ねていきました。
実は若かりしころ、彼女は両親から「将来は、あなたがこの2人の弟たちの面倒をお姉ちゃんとしてみてやっておくれ」と言い含められていたのです。家族のために尽くすことが当たり前だった時代。清子さんは自分の幸せや結婚のタイミングを言い出すこともできず、ただじっと胸に仕舞い込んだまま、婚期が過ぎ去っていくのを見送るしかありませんでした。
清子さんの人生は、文字どおり山下家への献身そのものでした。山下家の父・太郎さんの老後のお世話、介護を全うし、大人になった弟たちの生活も裏から支え続けます。
しかし、運命の歯車は残酷でした。清子さんが最期まで見守るはずだった自分より一回り以上年の離れた2人の弟たちは、病などで清子さんよりも先にこの世を去ってしまったのです。
逆転した運命の果て…一人取り残された家で募る「孤独死」への恐怖
気がつけば、山下家で一人きりになっていた清子さん。自身も高齢となり、体調を崩しがちになるなかで、彼女の胸には日に日に深い切なさと不安が押し寄せるようになります。
「自分が亡くなったあと、誰が私の葬儀をあげてくれるのか」「誰が最期を看取ってくれるのか」「私は山下の家の者だけど、あとからついてきただけの身。私のことを気にかけてくれる山下の人はいないだろう」――誰にも看取られることなく、このまま孤独な死を遂げていくのではないか。そんな恐ろしい不安が、常に彼女の頭から離れなくなってしまったのです。
姪と甥がかけてくれた、生まれて初めての「ねぎらいの言葉」
しかし清子さんの晩年は、決して寂しいだけの結末にはなりませんでした。ある日、弟の子どもたち――清子さんにとっては「姪」と「甥」にあたる2人に対し、彼女は生まれて初めて、長年蓋をしてきた胸の内をぽつりぽつりと語りはじめたのです。
「いままで、本当にたくさんの苦労があった。あんなことやこんなこと……。山下家のために生きてきたけれど、最期はやっぱり、私を産んでくれたお母さんが眠る、あの山下家のお墓で一緒に眠りたい……」
長年、胸の奥底に仕舞い込んでいた連れ子としての孤独と実母への思慕。それを聞いた姪と甥は、嫌な顔一つせず、静かに深く頷いてこう言いました。
「もちろんだよ、おばさん。いままでずっと、血のつながりのない私たちのおじいちゃんやお父さんたちの面倒をみてくれて本当にありがとう。本当に、苦労をかけたね」
その瞬間、清子さんの目から涙が溢れました。連れ子としてやってきた山下家ですが、自分が捧げてきた人生を、次の世代である姪と甥がしっかりと受け止め、心から感謝してくれていたのです。
この心の通い合いをきっかけにして、子どもがいない清子さんから姪と甥への確かな「バトンパス」が始まりました。万が一のときに姪や甥が困らないよう、遺言書を用意するなど、具体的な相続の準備が力強く動き出したのです。その5年後、97歳で清子さんは旅立ちました。