FPが老後資金の相談を受ける際、最も注目するのは「収支の数字」です。しかし、どれほど家計簿上の数字が完璧であっても、それだけで「理想の老後」が保証されるわけではありません。実は、経済的に余裕があり、かつ家族仲が良い世帯ほど陥りやすい「体力と時間のオーバーワーク」という落とし穴があります。「資産があるからこそ、家族の集まりや孫への援助といった支出が膨らみやすい」「仲が良いからこそ、子世代からの『助けてほしい』という頼みを断れず、自身の自由な時間を削って、無償の育児労働を引き受けてしまう」。よかれと思って始めた家族への献身が、気づかぬうちに自分自身の心身を蝕み、理想としていたはずの老後を奪ってしまうことも。本記事では、孫ブルーに陥ったAさんの事例から、社会保険労務士法人エニシアFP共同代表の三藤桂子氏が、リタイア後の「自分を守るための境界線」の引き方を考えます。※個人の特定を避けるため、事例の一部を改変しています。
「孫はたまにならいいが、毎日は…」年金320万円・退職金2,000万円の63歳祖父母。車で10分の距離に住む娘家族から、“老後の平穏”を守るためにたどり着いた〈絶妙な距離感〉【FPが解説】 (※写真はイメージです/PIXTA)

娘家族とのちょうどいい距離感

そんなある日、娘から「子どもたちの教育費をもっと貯めていきたい。住宅ローンもあるし、仕事に復帰したいけれど、保育園がみつからなくて困っている。お母さんたちに預かってもらえないだろうか」と相談を受けました。

 

妻は孫を預かることに賛成しましたが、Aさんは咄嗟にこう思いました。

 

(たまに遊ぶならいいが、毎日となれば責任も重い。万が一のケガも怖い。……自分の時間が完全になくなってしまう)

 

いったん娘には返事を待ってもらい、妻と相談。そこでAさんが下した決断は、意外なものでした――。

 

「また、働こうと思う」

 

Aさんは65歳にして、再就職を決めました。あんなに切望した「なにもしない自由」よりも、適度に外へ出て働き、社会との繋がりを持つ道を選んだのです。無理のない範囲で稼いで貯蓄を増やせば、いざというときに孫へ金銭的な援助もできるだろう――。それは、肉体労働としての「子守り」から、適度な距離を置くためのAさんなりの考えでもありました。

 

近年、育児介護休業法の改正により、現役世代の育休取得率は上がっています。なかには、保育園に入れない等、育児休業を延長するケースもあるでしょう。保育園に入れられたとしても、保育園の送迎や夕飯、お風呂等、親(祖父母)に頼れる場合、頼りにする子世代も少なくありません。

 

老後が想定と大きく変わる原因は、金銭トラブルや介護費用だけではないものです。A家のように、「良好すぎる親子関係」によって、親側が子に、時間と体力を無償で提供することをなしくずし的に継続してしまうケースもあります。

 

Aさんのように「再び働く」ことで解決できる場合もありますが、重要なのは「預ける側の子」と「預かる側の親」が、あらかじめ役割や金銭的な負担、そしてなにより「お互いの生活の境界線」を話し合っておくことです。資産2,000万円という数字以上に、自分たちがどういう距離感で、どんな毎日を送りたいのか。思いやりを持った事前のコミュニケーションこそが、老後の「想定外」を乗り越える備えになるのではないでしょうか。

 

 

三藤 桂子

社会保険労務士法人エニシアFP

共同代表