(※写真はイメージです/PIXTA)
「最後の虚栄」が崩れた、高級寿司店での夜
かつて大手メーカーで何十人もの部下を束ね、「部長」と畏怖されたフミオさん(69歳)はいま、異臭の漂うリビングで立ち尽くしています。足元には、数ヵ月分はあろうかという宅配弁当の空き殻と、中身の干からびたペットボトルが散乱しています。
2,700万円あった退職金が底をつき、銀行残高が数万円になったことを打ち明けた翌日のこと。
真実を打ち明けた夜、アヤコさんは取り乱すことも、フミオさんを責めることもしませんでした。ただ、「そう。お疲れさまでした」とだけ言い、翌朝には実家の兄が運転する高級外車がマンションの前に横付けされました。
「お金がなくなったら、本当に行っちゃうなんて……。長年の情とか、思い出とか、そんなものは最初からなかったのか」
フミオさんの問いかけに、アヤコさんは一度も振り返ることなく車に乗り込みました。彼女にとっては生活水準を下げるという選択肢が、人生の選択肢に最初から存在しなかったのです。
実は、フミオさんは残高が数万円になるまで、アヤコさんに本当の家計状況をひた隠しにしてきました。打ち明ける直前の週末も、不安を打ち消すように彼女を馴染みの高級寿司店へ連れていきました。
しかし、会計時に差し出したクレジットカードは、決済エラーで戻ってきます。「お客様、こちらのカードはご使用ができず……」店員の言葉に血の気が引くフミオさんの横で、アヤコさんは怪訝そうな、それでいてすべてを悟ったような冷ややかな視線を送っていました。結局、アヤコさんが「恥ずかしいわね」と自分の財布から支払ったその夜、フミオさんはようやく真実を告げる覚悟を決めたのです。
「甘やかす夫」と「お飾り妻」の、歪なバランス
フミオさんとアヤコさんの結婚生活は、ある種の「暗黙の了解」の上に成り立っていました。地主の娘として裕福な家庭で育ったアヤコさんは、苦労を知らない華やかさがありました。フミオさんはそんな彼女を「自慢の妻」として、ブランド品を買い与え、望むままの贅沢をさせることで自分の男としての器量を示してきたのです。
アヤコさんは「経済力があるから、あなたを選んだ」ということを隠そうともせず、フミオさんもまた「金を出すから、若くて綺麗な妻がそばにいる」という関係性を、どこか心地よく受け入れていました。
しかし、定年後の生活は想像以上に過酷でした。現役時代の金銭感覚を捨てられず、アヤコさんの機嫌を損ねたくない一心で、フミオさんは退職金を切り崩し続けました。
「自分も老いたが、同じように妻も老いた。これだけ長年連れ添い、甘やかして大切にしてきたのだから、老後もこのまま穏やかに寄り添い合えるだろう」
そんなフミオさんの期待は、あまりにも身勝手な独りよがりでした。アヤコさんにとって、生活水準を維持できない夫の元に留まる理由は、一欠片も残っていなかったのです。
