(※写真はイメージです/PIXTA)
85歳独居の母が起こした転倒事故
高橋静江さん(85歳・仮名)は、夫との死別後、都内の築古マンションで15年間一人で生活してきました。車で1時間ほどの距離には、長女の伊藤美香さん(53歳・仮名)が住んでいます。
静江さんの生活を支える年金は自身の年金と遺族年金合わせて月13万円ほど。この物価高のなか、生活が楽とは思えません。心配する美香さんは3日に一度は電話をして様子を気にかけていたといいます。そのたびに「そんなに心配しなくて大丈夫。私は平気よ」と笑いながら答えるのが、静江さんの常套句。さらに、美香さんが「高齢者の一人暮らしは何かと大変だから、一緒に住まない?」と同居を呼び掛けても、「心配しなくていい」と拒否していたといいます。
しかし、ある平日の夜、静江さんは浴室で足を滑らせて転倒してしまいます。自力で立ち上がることができなくなった静江さんは、脱衣所の壁を叩いて隣室の住人に異変を知らせました。隣人から連絡を受けた美香さんが深夜に駆けつけたとき、静江さんは床に座り込んだまま動けない状態でした。
搬送先の病院で、美香さんは「なぜ、もっと早く足腰が弱っていることを教えてくれなかったの。隣の人に助けてもらうまで放置するなんて」と問いかけました。静江さんは視線を落として「あなたにはあなたの家庭がある。最後まで自立して暮らす姿を見せることが、親としての責任だと思っていたの。迷惑をかけたくなかった」と答えたそうです。
「母が『平気だ』と言うのを、私自身の生活の都合に合わせて、言葉通りに受け取っていました。もっと早い段階で、強引にでも生活環境を整えたり、同居の準備を進めたりしていれば、母にこのような思いをさせることはなかったのに……」
診断の結果、静江さんは骨折こそ免れたものの、日常生活の一部に介助が必要な状態と判断されました。現在は週に数回デイサービスを利用しつつ、美香さんも静江さんのもとに通い、食事の支度や入浴の補助を行っています。
かつてのような日常の世間話は減り、現在の2人の会話は、介護保険サービスの手続きなどの実務的な話や、静江さんによる「迷惑をかけて申し訳ない」という謝罪の言葉が大半を占めるようになっています。
「親子の会話も以前のような楽しいものが少なくなってしまって……。もっと元気なうちに、踏み込んだ話し合いをしておけばよかったですね」
