(※写真はイメージです/PIXTA)
月18万円の「命綱」が消えた現実
父の遺産を確認しましたが、絶望的な状況でした。預金通帳の残高は80万円ほど。葬儀費用で消えてしまいました。これまでヒロシさんを生かしていた父の年金は、当然ストップします。
「ヒロシ、お前働けないのか? 警備員とか、清掃とか」ケンイチさんが強い口調で問いかけますが、ヒロシさんは黙ったままです。
これ以上、この家で一人暮らしをさせることは不可能です。固定資産税、光熱費、食費。誰かが援助するか、同居して生活費を浮かすしかありません。しかし、援助できるお金はありません。時計の針は深夜2時を回っていました。平行線の議論、疲労、そして将来への不安。極限状態の中で、ケンイチさんが提案しました。
「……じゃんけんだ」
「え?」ユミさんが顔を上げます。
「じゃんけんで決めよう。負けたほうが、ヒロシを引き取る。それか、ヒロシの生活費の面倒をみる。もうそれでいいだろ」
「はあ? そんなの嫌に決まってるでしょ」「じゃあ、調停とかで弁護士費用払ってでも争うのか?」「……」
ユミさんはこれ以上、押し付け合いを続けても答えが出ないことを悟りました。ヒロシさんは、自分の運命が子どもの遊びで決められようとしているのに、止めようともしません。
「いいか」
大人二人が、喪服姿で向き合います。ヒロシさんを「背負うべき負債」として扱う瞬間でした。
「最初はグー、じゃんけん……」
勝負は一発で決まりました。ケンイチさんは、グー。ユミさんは、パー。
「……決まり、ね。お兄ちゃん、約束だよ」ユミさんは安堵のため息をつき、すぐに視線を逸らしました。
ケンイチさんは拳を握りしめたまま、呆然とヒロシさんをみました。妻になんといえばいい。子ども部屋をどうする。月々の食費は。俺の小遣いはなくなるのか――。
父の死によって、長年先送りにされてきた「8050問題」の現実を一身に背負うことになったのは、たった一度のじゃんけんで負けた長男でした。