「人身事故を起こす前に」免許返納を決意した父

「この人、最近ぼーっとしていることが多くて……。前はこんなんじゃなかったのに」

妻の早苗さん(72歳)が不安そうに口にしたのは、夫の吉田功さん(76歳・仮名)が運転免許を返納してから半年が過ぎた頃でした。

功さんは、絵に描いたような元気な高齢者でした。現役時代の蓄えが2,500万円あり、月23万円の年金で早苗さんと、関東の地方都市の郊外で穏やかに暮らしていました。運転歴50年以上、無事故無違反が自慢で、毎日のように愛車を駆ってゴルフや買い物、友人との集まりと充実したセカンドライフを送っていたのです。

免許返納に踏み切るきっかけは、スーパーの駐車場での小さなミスでした。隣の車にドアを軽くぶつけてしまったのです。

「お父さん、そのうち人身事故を起こすかもしれないよ。ニュースでも高齢者の事故が多いでしょ」

長女(47歳)と長男(45歳)は、連日報道される高齢ドライバーの事故を引き合いに出し、免許返納を強く勧めました。当初は渋っていた功さんでしたが、家族の心配する顔を見て「確かに反応が遅くなった気もする。大きな事故を起こしてからでは遅いから」と決断しました。

車のない暮らしで生活一変、医師からの「まさかの言葉」

返納後、生活は一変しました。

最寄り駅まで徒歩30分。バスは1時間に1本。どこへ行くにもタクシーを呼ぶしかありません。「年金で払えないわけじゃない」と言いつつも、ゴルフ場まで往復1万4,000円という現実に、功さんは「もったいない」と徐々にプレーから遠ざかることに。

友人からの誘いも「送迎を頼むのが申し訳ない」と断るようになりました。行動範囲は急速に狭まり、功さんは一日中、テレビの前から動かなくなりました。

しばらくすると、「今日は何曜日だっけ?」という問いかけが増え、半年後には同じ話を繰り返すようになった功さん。1年が経過した頃、病院で下された診断は「軽度認知障害(MCI)」でした。

医師の言葉に、子どもたちは言葉を失います。

「家に閉じこもるのが一番良くない。もっと社会参加を増やしてください」

年間40万円の車の維持費は浮きましたが、それは生きる張り合いと引き換えでした。認知症が進行すれば、将来的に月数十万円の介護費用も発生します。子どもたちの胸に、激しい自責の念が突き刺さりました。