富裕層向け投資家ビザに特化して100億円以上の申請業務に携わる中で、20年、2万人以上の成功者の歩みを詳細に知る機会を得た著者の大森健史氏は、そこから見えた「シン富裕層(※)」の共通点を、閉塞感を抱く日本人、とりわけ若者に伝えるべく、本書の発刊に至った。本記事では、大森健史氏の著書『進化するシン富裕層』(日刊現代)より一部を抜粋・再編集して、「シン富裕層」が共通して持っている「KY力」について解説します。(※親が裕福だったわけではなく元々は「ごく普通の人」でありながら、インターネットやスマートフォンの普及を背景とした起業、暗号資産、動画配信、情報ビジネスなどを通じて、わずか数年で一代にして巨万の富を築いた新しいタイプの富裕層)
「BMWはまだ早い」と語る年収2000万円の先輩が一生“本当の富”を掴めない理由…普通の人の「身の丈」思考と富裕層の「KY力」が生む差

「シン富裕層」になれる人と「ごく普通の人」のまま一生を終える人の違い

シン富裕層は、元々は「ごく普通の人」でありながら、一代で巨万の富を築いたという人たちです。では、「ごく普通の人」からシン富裕層になれる人と、シン富裕層になれず「ごく普通の人」のまま一生を終える人たちとの差は、どこにあるのでしょうか。

 

私が2万人を超える富裕層と接してきて実感したのは、「ごく普通の人」たちは保守的だということです。何をするにも、「身の丈に合った」ものがいいのだという、思い込みの鎖に縛られています。常に「身の丈」という名の見えない壁に囲まれているように感じます。その壁は、私たちの行動を制限し、可能性を狭めていると言ってもいいでしょう。

 

印象的なエピソードがあります。私の先輩で、外資系コンサルティング会社のマネージャーとしてバリバリと働き、推定年収が2,000万円を超える優秀なビジネスマンがいます。高いコミュニケーション能力と論理的思考力を武器に数々の難関プロジェクトを成功に導いてきた人です。都心の高級マンションに住み、華やかな交友関係を持っています。

 

ある日、その先輩と一緒に中古車販売店へ行ったところ、BMWのM5という、スーパーカーに匹敵する性能を持つ人気のスポーツセダン車が店頭にありました。M5は、新車なら当時約1700万円で販売されていた、超高級車です(2025年10月時点での希望小売価格は2,048万円)。しかしその中古車は、ほんの1年落ちで、1,000万円ほどで売られていたのです。当時新車で買うより700万円も安いわけです。

 

先輩が「これめちゃいいやん、内装もお洒落だし、1万キロしか走ってない。ほとんど新車みたいなもんやな」と言うので、私は「先輩、これ買えばいいじゃないですか!絶対似合いますよ!!」と子どもに戻ったようなテンションになり、購入を勧めました。ところが、それまで子どものように目を輝かせていた先輩が急に真顔になり、「いや、俺にはまだ早い」と言ったのです。

 

先輩は昔からBMWが大好きで、その価値をよくわかっていて、当時もBMWの別モデルに乗っていました。50歳を過ぎて外資系でバリバリと働き高年収で、借金だってありません。そんな先輩が買うのが「まだ早い」のだったら、誰ならいいんですか!?と、思わずのけぞりそうになったものです。

 

「まだ早いって、いったいいつになったら買うんですか?先輩なら余裕で買えるじゃないですか」という私の言葉に、先輩は静かにこう答えました。「確かに、俺は今ならこの車を買えるかもしれない。でも、俺はまだこの車にふさわしい人間になっていない気がするんだ。もっと仕事で成果を出し、もっと人間的に成長してから、この車に乗りたい」と。

 

にわかに納得できない話でした。しかし、「ごく普通の日本人」は保守的で、常に「身の丈」を意識してしまうのは仕方のないことかもしれません。その先輩ほどの身分になっても「身の丈を超えた行動はリスクが大きい」「失敗したら取り返しがつかない」と考え、挑戦することを躊躇してしまうのです。

 

ここが、シン富裕層との大きな違いです。彼らは「身の丈」思考にとらわれず自由な発想と行動力でチャンスをつかみ取ろうとします。年収が高くなれば、それを惜しみなく自己投資や新しいビジネスに使い、さらなる成功につなげていこうとします。あなたがシン富裕層になりたいと思うのなら、まずはこの「身の丈」思考からの脱却が必要です。

「身の丈」思考の落とし穴

こうした現象は、「ごく普通の人」たちにはよく見られます。たとえば首都圏で自宅を購入するようなとき、多くの「ごく普通の人」たちは、金銭的には準富裕層と言ってもいいくらいの資産的余裕があったとしても、「山手線の内側のような〝都心〟なんて恐れ多い、自分の『身の丈』には合わない」などと考える人が多いようです。そして都心の一歩手前、たとえば中目黒や代官山、自由が丘などに居を構えようとします。値段的にそれほど変わらない、広尾、四谷、三田などは、端から検討もしないのです。JR山手線の外側と内側とで、見えない「〝身の丈〟バリア」があるかのようです。

 

私も大阪出身で東京の地理には不案内だったため、「都心の一等地に住む」ということがよく理解できなかったクチなので、気持ちはよくわかります。東京に出てきたばかりの頃は、私にとって〝山手線の内側〟は「別世界」でした。高層ビルが立ち並び、高級ブランド店や高級レストランが軒を連ねる、華やかで洗練された街であるという印象を抱きながら、「確かに都心にも、マンションや一戸建て、小学校などがあるけれど、こんなところに住むなんてどんな変わった人なんだろう?」「学校はあるけれど、子どもなんて住んでいなんじゃないか」「食品や日用品を買うにも、物価だって高いんだろう」などといった偏見を持っていました。

 

ところが、ひょんなきっかけで実際に山手線の内側に住んでみてわかったのですが、南青山だろうが六本木だろうが、住む人も物価もそれほど山手線の外側と違いがあるわけではありません。家賃は以前、住んでいた中野の賃貸マンションより若干高くなったけれど、生活の利便性が各段に上がったのです。仕事場に近くなったことで通勤時間が短縮されて、自由な時間も増えました。今ならウーバーイーツも使えるし、我が家御用達の西友ネットスーパーもあるのです。

 

そう考えると、いっそのこと賃貸ではなく購入してしまった方がいいのではないか? 購入時の物件価格が高めでも、職場に近くて利便性もあって、将来の値上がりも見込めそうな「一等地」に住んだ方がいいなと考えを改めたのです。

 

最初のマンションを購入した時は少しチャレンジングだったような気もしますが、その後、山手線内側の一等地にあるマンションを何回か買い替えたことで、それほど苦労することなくある程度の資産を築くことができたのです。これは私の実体験です。「身の丈」思考をちょっと乗り越えるだけで別の世界が見えてきます。

 

なお、一度一等地に住んでその快適さを知った人は、逆にそこからは出られなくなるものだということも付け加えておきましょう。一等地には、それだけの魅力があるのです。