認知症による資産凍結への備えとして、近年注目を集める「家族信託」。成年後見制度のような厳格な制限がなく、家族間で柔軟に財産管理ができる切り札として紹介されることが増えています。 しかし、その柔軟さこそが、時に親の財産を危険に晒すケースもあって……。本記事では田代さん(仮名)の事例とともに、家族信託契約のリアルな使い勝手を、ニックFP事務所のCFP山田信彦氏が解説します。
一人息子の「親孝行」に感謝した翌週…資産1億円・東京の一等地に50坪の自宅を構える82歳父が「通帳を取り上げられた日」【CFPが解説】 (※写真はイメージです/PIXTA)

「親父はもう、心配しなくていいから」

契約の翌週、息子が実家を訪れました。

 

「親父、これからの管理は俺がやるから。銀行の手続きも全部済ませておくよ。親父はもう、面倒な金のことなんて気にせず、長生きすることだけ考えてくれればいいんだ」

 

息子は甲斐甲斐しく動き、田代さんの通帳や印鑑、証券会社のカードなどを「手続きに必要だから」とまとめて持ち出しました。「終わったら返すよ」といっていたはずですが、1週間経っても、1ヵ月経っても、通帳は戻ってきません。

 

「あの通帳、どうなったんだ?」 田代さんが電話で尋ねると、息子は明るい声でこう答えました。

 

「ああ、信託口座に移したよ。俺がしっかり管理してるから大丈夫。親父の手元に置いておくと、詐欺に遭うかもしれないし、紛失も怖いだろ? 俺が預かっておくのが一番安全だよ」

 

生活費は振り込まれていますが、自分が長年貯めてきた1億円がいまどうなっているのか、通帳をみることもできません。「管理を任せたとはいえ、これは……」いいようのない不安に駆られた田代さんは、以前より懇意にしている独立系FPへ相談することにしました。

家族信託の落とし穴

相談したFPは一通りの事情を聞いたあとで口を開きました。

 

「なるほど、家族信託ですか。でも確か田代さんは不動産経営とかをしているわけでもありませんよね。それに、ご自身の事業が上手く行っていない割には派手な生活ぶりの息子さんからときどきお金を贈与してくれといわれるのが悩みと、以前仰っていませんでしたか?」

 

田代さんは「そのとおりです」と答えると、FPは続けました。

 

「契約してしまった以上、申し上げにくいのですが……。そういう状況下であれば、家族信託という契約を息子さんと結ぶことは、非常にリスクが高かったといわざるを得ません。息子さんはどこかの扇動的な家族信託セミナーにでも出席して刺激を受けたのかな」

 

FPから説明を受けた要点は以下のとおりです。

 

後見人が家族に選ばれない理由

認知症対策としての後見制度があまり普及していないことも、その理由も田代さんが話を聞いた法律事務所の説明のとおりです。一方で親族が立候補しても後見人に選ばれない場合があるのは、家族による認知症患者(=被後見人)財産の横領事例が多発したためです。弁護士等の職業後見人は、認知症となった高齢の被後見人の「財産管理」のために、その家族といえども基本的には性悪説に立った対応をせざるを得ません。

 

「監視」のない恐怖

家族信託は、家庭裁判所のような公的な監督人がつかないケースがほとんどです。金遣いの荒い息子に財産管理権を渡し、通帳を取り上げられることは、いくら契約上の受益者が田代さんのままでも、チェック機能のない状態で金庫の鍵を渡すに等しいものとなります。

 

「身上監護」の欠如

成年後見制度の重要な役割である「身上監護(生活や療養看護に関する法律行為の支援)」が、家族信託にはスッポリと抜け落ちています。家族信託では、「仕組みの主人公」が「財産を持つ高齢者」ではなく、「高齢者が持つ財産」だからです。

 

高額な契約組成費用

家族信託の契約組成費用は高額になりがちです。アパートなどの収益性資産を保有しており、かつ受託する家族を心より信頼できるのであれば家族信託は1つの有効な選択肢。一方で、田代さんのように金融資産と自宅不動産程度の財産であれば、任意後見制度や、最近では金融機関による「予約型代理人サービス」などのより手軽な選択肢もあります。