短大卒で寿退社し、夫の転勤に付き従いながら45年間、専業主婦として家庭を支えてきた恵子さん(67歳)。自分なりに家族のために尽くしてきたという自負がありました。しかし、43歳の娘からのひと言が胸に刺さります。「私はお母さんみたいに、男に頼りきりの人生は嫌だった」。昭和の価値観の中で“家庭を守る妻”を全うした母と、就職氷河期を経験し自立を重視する娘――価値観のズレはどこから生まれたのでしょうか。ファイナンシャルプランナーの三原由紀氏が解説します。
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お母さんみたいな人生は絶対イヤだった…〈年金月7万円〉専業主婦歴45年・家族に尽くした67歳女性が「我が娘の言葉」に絶句した日【FPの助言】
「お父さんってば…」母の愚痴が娘に刻んだもの
この母娘は、いわゆる「友達親子」の関係に近いものがあります。娘が思春期を迎えた1990年代後半、恵子さん自身が母親から厳しく育てられた世代だったこともあり、"友達のように何でも話せる親子関係"に強く憧れていました。
しかし、「何でも話せる関係」が裏目に出ることも。夫が転勤や仕事で不在がちな暮らしの中、恵子さんはつい娘にこぼしていました。
「お父さんってば、またこんなこと言うのよ」
「別れたい時もあったけど、お金がないと無理なのよね…」
軽い愚痴のつもりでも、娘にとっては強烈な“母の無力感”として刻まれたのです。
娘が大学を卒業した2005年前後は、就職氷河期の終わりかけの時期。とはいえ採用枠はまだ少なく、特に女性の総合職は狭き門でした。そのため「働き続ける力がなければ人生が詰む」という意識が、この世代の女性には強烈に刻まれています。
つまり娘は、母の姿をこう見ていたのです。
・家事も育児も介護も全部背負い
・夫に経済的に依存せざるを得ず
・離婚したくてもできないと嘆く姿
その記憶が積み重なり、あの日のひと言につながったのでしょう。
「お母さんはいつもお父さんのペースに振り回されて……私は自分で自分の人生を守りたかった」
そこには母を否定したい気持ちよりも、 “母のように選択肢を失いたくない”という切実な防衛反応があったのでしょう。