「お父さんってば…」母の愚痴が娘に刻んだもの 

この母娘は、いわゆる「友達親子」の関係に近いものがあります。娘が思春期を迎えた1990年代後半、恵子さん自身が母親から厳しく育てられた世代だったこともあり、"友達のように何でも話せる親子関係"に強く憧れていました。

しかし、「何でも話せる関係」が裏目に出ることも。夫が転勤や仕事で不在がちな暮らしの中、恵子さんはつい娘にこぼしていました。

「お父さんってば、またこんなこと言うのよ」
 「別れたい時もあったけど、お金がないと無理なのよね…」

軽い愚痴のつもりでも、娘にとっては強烈な“母の無力感”として刻まれたのです。

娘が大学を卒業した2005年前後は、就職氷河期の終わりかけの時期。とはいえ採用枠はまだ少なく、特に女性の総合職は狭き門でした。そのため「働き続ける力がなければ人生が詰む」という意識が、この世代の女性には強烈に刻まれています。

つまり娘は、母の姿をこう見ていたのです。

・家事も育児も介護も全部背負い
・夫に経済的に依存せざるを得ず
・離婚したくてもできないと嘆く姿

その記憶が積み重なり、あの日のひと言につながったのでしょう。

「お母さんはいつもお父さんのペースに振り回されて……私は自分で自分の人生を守りたかった」

そこには母を否定したい気持ちよりも、 “母のように選択肢を失いたくない”という切実な防衛反応があったのでしょう。