「25歳までに結婚」が当たり前とされ、結婚が社会的責任とみなされていた昭和の女性。時代は変わり、現在は平均初婚年齢が夫31.1歳・妻29.7歳と大きく上昇しています。結婚の形だけでなく、「生涯を共にするパートナー」という存在そのものの捉え方も、大きく変わり始めています。丸山法子氏の著書『定年を意識したら読む本 定年のトリセツ』(ごきげんビジネス出版)より、人生100年時代における新しい結婚観を考えていきます。
愛は消え、情も枯渇。我慢の対価は〈年金分割〉と〈財産半分〉…夫が定年を迎えた「昭和妻」、60歳からの“人生の仕切り直し”
超ラブラブ→些細なことで喧嘩…「1回目の結婚」はデート気分
まず1回目。出会って恋をして、この人のことを知りたい、この人とずっと一緒にいたいと、超ラブラブな気分のままはじまるのが1回目の結婚です。
若いふたりが一緒に暮らしはじめると、お揃いのマグカップ、歯ブラシ、リビングのカーテンをどれにしようかと、それはもう楽しいデートが続くと思いきや、途端に超リアルな「共同生活」がはじまります。食事の準備、後片付け、ゴミ出し、掃除や洗濯、お金の管理、いろいろな手続きなど、想像以上に相手にあわせることが続き、こんなはずではなかったと感じます。
とくに体調がしんどいときや、仕事が忙しいときに限って、なぜか相手も機嫌が悪かったりするもの。言い合いになったり、どちらかがグッと我慢してイライラを飲み込んだり。それでも、お互いを大切にしようとするのが夫婦の成長ですが、些細なことで喧嘩して、その流れで「別れよう」みたいになり、離婚していくのが少なくありません。
「恋」とは相手に求めることで、「愛」とは相手に与えること。まだまだデート感覚で結婚してしまうと、相手への愛を忘れてしまい、どうしてわかってくれないのか、どうしてやってくれないのかと相手に不満を訴えます。
こうした要求の応戦の果てに離婚へと向かいます。
子を育て、「戦友」として親の役割を果たす「2回目の結婚」
その経験から学び、やがて「この人となら家庭をもてそう」という相手にめぐり合い、2回目の結婚へ。子どもを産み育て、家を購入し、社会の役割として働き、お互い支え合い、父として母としての役割を果たします。正月の雑煮や家族の役割など、価値観や文化の違うお互いの家族との付き合いも、そつなくこなします。
ただこの時期、人生のなかで一番がんばらないといけない時期でもあるのです。夫婦が手を携えて乗り越える、まさに「戦友」という関係です。
がんばるにつれ「こうあるべきだ」「こうしなければ」といった信念や、相手に対する思い込みや考え方がぶつかり合います。家族だからこそ余計に踏み込みすぎるのもあって、無防備な一言で傷ついたり、傷つけられたり。さらに、お互いのここ一番という瞬間に、魔がさしたり、違う人を思っていたりすると、やがて行く道が逸れていきます。
いままで自己犠牲もいとわずやってきたのに、わかってくれない、わかり合えない。こうなると、子どもが大きくなるまでは我慢する、という選択をした瞬間から、静かに離婚の準備がスタートします。これが熟年離婚。
年金や財産など、分与できる法制度が整備され、具体的な相談サービスも豊富に整ってきたこともあり、子どもが成人したのを機に、定年したのを機に、というおわり方も増えました。
これがひとまず役割を果たし、ひととおりの人生を終えた、区切りとしての2回目の結婚でした。