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「大丈夫」が口癖だった母…電話越しの愚痴ばかりの娘
先日、母・和子さん(享年75歳・仮名)を亡くした佐藤美紀さん(49歳・仮名)は、葬儀で涙が止まらなかったといいます。その涙は、母を失った悲しみだけではなく、深い後悔からくるものでした。
美紀さんは、いわゆる就職氷河期世代です。希望する業界への就職は叶わず、仕事では我慢することばかりだったといいます。プライベートでは30歳で結婚し、仕事を続けながら子育て中。仕事と家庭の両立に四苦八苦してきたといいます。
「会社でも家庭でも、とにかくストレスが溜まる日々を送ってきました。そして私の愚痴をとにかく聞いてくれたのが母だったんです」
地元の実家で一人暮らしをしていた母の和子さんは、美紀さんの話をいつも静かに聞いてくれました。そして、電話の最後には決まって「美紀はよく頑張ってるよ。大丈夫、きっと良くなるから」と言うのがお決まり。美紀さんにとって、母の「大丈夫」という言葉は、不安定な日々を支えるお守りのようなものだったといいます。
そんな和子さんも70代を迎えると、美紀さんが体調を気遣うことも多くなったといいます。一人暮らしの高齢の母です。心配でないわけではありません。
「母は私の心配ばかりするから、『それよりも、お母さんこそ、変わりない?』と聞いても、いつも『大丈夫』と答えるんです。最近は物価高で、生活が大変なのではと心配しても、やっぱり『大丈夫』と答えるんです」
美紀さんはその言葉を額面通り受け取っていました。しかし異変が起きたのは、半年ほど前のこと。電話で入院することになったと報告を受け、急いで地元に帰省した美紀さんは、そこで思いもしないことを明かされます。
「医師から、母が末期がんだということを聞かされました。もう手の施しようがない状態だと。『かなり痛みもあったはずです。気づきませんでしたか?』と言われましたが、母はいつも『大丈夫』と繰り返すばかりだったので……」
和子さんは、美紀さんが経済的にも精神的にも苦労していることを知っていました。だからこそ、自分は弱音を吐くことはありませんでした。だからこそ、検査を受けることも我慢していたのかもしれません。
「私が、母に愚痴ばかりこぼしていたから……母に『大丈夫』と言わせてしまったんですよ。手遅れになってしまったのは、私のせいなんです」
美紀さんは、母の遺影の前で、ただ泣き崩れることしかできなかったといいます。