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毎朝の「おはよう」が途絶えた日
都内のIT企業に勤める小林拓也さん(48歳・仮名)の朝は、地方でひとり暮らす母親・千代さん(72歳・仮名)へのショートメッセージから始まるといいます。たいてい拓也さんが「おはよう」と送ると、ほどなくして「おはよう」と返事が来る。それが、小林さん親子の「今日も無事」の合図でした。
「母は持病もなく、70代としては元気なほうだと思っていました。ただ2年前に父が亡くなってからは、ひとり暮らしだし、やっぱり心配ですよね。だから『毎朝、ひと言でいいからショートメッセージを送りあう』と決めたんです。本当に、たわいもないやり取りですよ。『今日は暖かい』とか、『庭の花が咲いた』とか。でも、そのやり取りだけで、ずいぶんと安心できたんです」
その日も、拓也さんはいつものように午前7時過ぎに「おはよう」とメッセージを送りました。しかし、待てども待てども返信はなく、時間だけが過ぎていきました。
「いつもなら、遅くとも30分以内には返事があるんです。寝坊かな、くらいに最初は考えていました。でも、午前9時を過ぎても連絡がない。さすがに、胸騒ぎがしました」
拓也さんは、千代さんの携帯電話に何度も電話をかけました。しかし、呼び出し音が虚しく響くだけで、誰も出る気配はありません。会社のデスクで、生きた心地がしなかったと拓也さんは振り返ります。
「仕事なんて、まったく手につきませんでした。頭の中で、ありとあらゆる悪い想像が駆け巡って。まさか、倒れているんじゃ……と。居ても立ってもいられず、午後には会社を早退して、新幹線に飛び乗りました」
東京駅から実家までは、新幹線と在来線を乗り継いで3時間ほどの距離です。車中、拓也さんは祈るような気持ちで、千代さんの無事を信じようと必死でした。
「どうか、ただの思い過ごしであってくれ、と。携帯をなくしただけとか、充電が切れただけとか。そんなことであってくれと、何度も自分に言い聞かせました」
実家の最寄り駅に降り立ったのは、夕暮れ時でした。タクシーに乗り込み、見慣れた景色の中を走り抜ける時間が、永遠のように長く感じられたといいます。
「家の前に着くと、明かりがついていませんでした。その瞬間、嫌な予感が確信に変わっていくのを感じました。玄関のドアに手をかけると、鍵がかかっていない。恐る恐るドアを開けて、中に足を踏み入れました」
家の中は、シンと静まり返っていました。散らかっている様子はなく、いつもと変わらない、千代さんの几帳面さがうかがえる空間が広がっています。拓也さんは、リビングのほうへ向かいました。そして、そこで信じられない光景を目にすることになります。
千代さんが、ソファのそばで静かに倒れていたのです。傍らには、読みかけの本と、まだ湯気の立っていそうな湯呑み。まるで、ついさっきまで穏やかな時間を過ごしていたかのような、あまりにも日常的な光景でした。
「孤独死っていうんですかね。どうしてもゴミ屋敷のような、荒れ果てた部屋を想像していましたが、本当に、日常の延長線上に母は倒れていました。それが私にとっては“まさかの光景”で、かえって受け入れることができずに、ただ泣くしかなかった。こんなに穏やかな空間で、たった1人で逝ってしまったのかと」