「定年後は夫婦で穏やかな老後」が一変した衝撃の置き手紙

そんな康夫さんを、想像もしていなかった現実が待っていました。65歳で長い会社員人生を終えた康夫さんは、所属部署で開かれた定年退職の祝賀会に参加。帰路の道中では、これから始まる夫婦の穏やかな老後生活に思いを巡らせていました。

ところが、待っていたのは美佐子さんが残した衝撃的な置き手紙でした。

「お疲れさまでした。でも、私はもう限界です。さようなら。私は生きた人間なのに、あなたは私の本当の気持ちをわかってくれていませんでした。友人とのお茶代500円でさえ、まるで犯罪者のように理由を問い詰められる日々。でも、あなたのゴルフ代は月に何万円も当然のように使われていきました。私が外で働きたいと言えば『無駄』と言い、私のささやかな楽しみは『贅沢』と切り捨てられました。……子どもたちの大切な行事にも顔を出さず、私一人で育児を背負わされました。私の人生はいったい何だったのでしょうか???!!!」

手紙の大部分は冷静で丁寧な文章で書かれていましたが、最後の一文だけは異なっていました。三つの疑問符と三つの感嘆符。美佐子さんが35年間抱え続けた怒りと絶望が、この記号に集約されていました。康夫さんはこの乱れた文字を見て、初めて妻の心の叫びを理解したのです。

康夫さんの徹底した節約主義は、確かに資産形成には効果的でした。しかし、それは妻にだけ強いられたものだったのです。月10万円の生活費では、食費、日用品、医療費を除けば、美佐子さんの自由になるお金はほとんどありません。一方で康夫さんは「会社の付き合い」という名目で、ゴルフや接待に月10万円以上を費やしていました。

「美佐子のために資産を増やしてきたのに、なぜわかってくれないんだ。ゴルフは仕事の一部だ」

康夫さんは困惑しました。しかし、美佐子さんにとって、この「自分には甘く、私には厳しい」という態度こそが最も苦痛だったのです。パート勤務を希望しても「家にいてくれた方が節約になる」と却下され、友人との付き合いも「無駄遣い」として制限される――。

美佐子さんは次第に社会から孤立し、夫以外に相談できる人もいなくなっていました。結婚35年間で蓄積されたストレスは、もはや限界を超えていたのです。