都会の喧騒を離れ、自然豊かな地方で暮らしてみたい――。多くの人が一度は抱くそんな想いは、リモートワークの普及で、以前よりずっと身近なものになりました。しかし、環境を変えても誰もがそれまでのキャリアやスキルを上手く活かせるわけではありません。いざ移住を考えたとき、最大の壁となるのが「どうやって仕事を見つけ、生計を立てるか」という現実的な問題です。本記事では、ふくしまゆきお氏の著書『定年後を豊かにするシンプルライフ お金・モノに頼らない生活の実現へ』(ごきげんビジネス出版)より、「地方での働き方・稼ぎ方」を見つけるための、具体的な選択肢について解説します。
酪農未経験・意識の高い会社員「自然のなかで子どもを育てたい」…農家出身の上司の制止も振り切り、妻と幼子を連れて北海道移住。牧場をはじめた25年後「まさかの結果」
専業農家・漁家として稼ぐ
生活費をすべて収穫物の販売収入で稼ぐのが専業の農家・漁家ですが、新規にはじめるのは容易ではありません。農林水産業は、機械を導入し大規模経営をして収益を拡大しています。投資が必要なのです。一方で、第1次産業の就労者を増やすために地方自治体はさまざまな支援を打ち出していて、その制度を利用して就農した知人が2人います。参考例として挙げます。
私の元部下は、小さな子どもがいるのに会社を辞め、北海道で牧場をはじめました。町の支援で酪農を学び、ヘルパーとして経験を積んだあと、牧場をもったのです。自然のなかで子どもを育て暮らしていきたい、という意志が強く、慰留には応じませんでした。農家出身の私の上司は、「牛なんて1頭いても大変だぞ。いっぱい食うし、雨のように小便もする。全部片付けるんだぞ」といっても動じませんでした。
彼も奥さんも酪農や農業経験がありません。メカにも強くなかったため、酪農機械や除雪機などの修理をできるのか心配しましたが、25年以上、酪農家を続けて子どもたちを立派に育てました。退職時に示した強い意志は本物だったのです。
もうひとりは私の甥です。30歳を過ぎたころに大手証券会社の収入をなげうち、イチゴなどを栽培する果物農家になりました。移住先の市の支援を受けながら栽培技術を身につけ、農園をはじめたのです。学生時代から起業の意欲があったのですが、大阪市内で育った彼が農家になったと聞いたときはびっくりしました。
就農の動機は、家族とできるだけ長く過ごしたい、という気持ちです。彼の第1子が誕生したときはコロナ禍で、里帰り出産した妻子と会うのは容易ではありませんでした。防護服を着て、ゴーグルをして赤ちゃんを抱いている彼の写真を覚えています。家族と過ごすという気持ちと起業の意欲が合わさりました。ふるさと回帰支援センターで相談するうち、家族との時間を大切にでき、地域に根ざし、やり方次第でビジネスとしても成り立たせられる農業の魅力に惹かれていきました。
彼の妻の実家は代々続く果樹農家で、彼の農園もその近くにあります。心強いですね。強い意志に加え、ノウハウをもつ親戚が近くにいることは、成功のカギになると思います。2023年に農園をはじめたばかりで、農繁期は睡眠不足になるほど大変なようですが、事業を続けていくことを期待しています。
ほかの自営業でも同じですが、新規に農業をするには本人の強い意志と努力、家族の協力や技術をもつ人、販路をもつ人の協力が欠かせません。