月に一度、決まった仲間で集まって一定額のお金を出し合う。そして、その積立金を使って飲み会や旅行に繰り出す――。山梨県で今なお根付く『無尽(むじん)』と呼ばれる、一風変わった集まりをご存じでしょうか。隣に誰が住んでいるかも知らず、家族との団らんさえスマホに奪われがちな都会の暮らしとは、まさに好対照なこの光景。もともとは住民同士でお金を融通しあう金融の仕組みだったという無尽が、なぜ形を変えてまで現代に必要とされているのか。本記事では、ふくしまゆきお氏の著書『定年後を豊かにするシンプルライフ お金・モノに頼らない生活の実現へ』(ごきげんビジネス出版)より、人が集まる仕組みと、隠された現代人が失いつつある居場所と仲間づくりのヒントを探っていきます。
「今夜は“無尽”だから」…専業主婦の最強・外出許可証。山梨県でいまだ根付く「仲間同士でお金を集めて、飲み会に使う」ナゾの集い
お金を融通しあう建前で、実は飲み会を楽しむ“うまい仕組み”
「講」という言葉を初めて聞く読者も多いと思います。1960年ごろまで日本各地で最も頻繁に行われていた集まりが「講」で、信仰と飲食の集まりでした。全国的に人気だったのは、定期的に集まってお祈りをするとともに、お金を積み立てて代表者(輪番制)が参詣に行く代参講です。伊勢神宮や富士山などが信仰の対象でした。
お金を融通する、無尽(むじん)という集まりもあり、山梨県ではいまも盛んです。ただし、集めたお金は困っている人が受け取るのではなく、旅行や飲み会などに使っています。講や無尽のよさは、同じメンバーで長く続けるので親密さが増していくことです。山梨県ではいまでも、「きょうは無尽があるから」というと主婦も気兼ねなく出かけられるそうです。気のあう仲間が集まる口実にもなる、うまい仕組みだと思います。
ほかにもさまざまな集まりが頻繁にありました。俳句や短歌の集まりは大変盛んで、句会でつくった作品を額にして神社に奉納している例もあります。生け花や菊づくりの集まり、遊芸人のライブ(落語、講談、猿回し、三河万歳や三味線を弾いて唄う瞽女さん、など)を見る集まりもありました。遊芸人からは、よその土地の情報も得ていました。「おもしろくない芸人だった」との記録も残っていますが、みんなで見るので話の種になったと思います。
楽しくて、役に立ち、生きがいになる集まる機会
私たちはいまも集まることへのエネルギーをもち続けています。若者たちは、よさこいなどの祭りやサマーフェスなどのライブで大変盛り上がっています。集まるから盛り上がるのです。
江戸・明治時代の人たちは頻繁に集まりました。場所は当番制で、誰かの家。食事は手づくり、いまよりも手間をかけましたが、お金はかかりませんでした。
明治後期からは村を出て都会で働く人が増え続け、さらに時代が進むと、手軽な娯楽であるテレビが普及して集まる機会が減りました。他人と話すことが億劫になり、苦手になっていったのです。都会に移った人たちは、近所との付き合いを避けるようになりました。私が住んでいるアパートの住人には、会釈をしないどころか、目も合わさない人もいるので驚きます。
現代では夕食やテレビを囲む団らんの時間が、ひとりでスマホを見る時間になりつつあり、家族が集まる時間も少なくなってしまいそうです。勤めているときは会社が居場所です。しかし、いつかは会社との関係が疎遠になり、プライベートの付き合いが大半になります。自分の居場所は、幸せに生きるためにも、セーフティーネットとしても、大切な場です。
現代では、居場所がない、友達がいない、といった問題が顕在化しています。市町村やNPOが旗を振り、居場所づくりを盛んに行っています。居場所づくりを研究している先生もいるほどです。江戸・明治時代には当たり前にあった居場所の再構築が必要なのですね。
ふくしま ゆきお
昔の楽しみ研究家
※本記事は『定年後を豊かにするシンプルライフ お金・モノに頼らない生活の実現へ』(ごきげんビジネス出版)の一部を抜粋し、THE GOLD ONLINE編集部が本文を一部改変しております。