親子だからといって、誰もが良好な関係を築けるわけではありません。子どものころに抱いた親への苦手意識や反発心は、大人になっても根深く残ることがあります。実家を離れて物理的な距離ができると、その気まずさを解消するきっかけを失い、意識的に連絡を避けるように……。やがて、親がいまどんな生活をし、なにを考えているのかまったく知らないまま、何年もが過ぎてしまいます。本記事では、Aさんの事例とともに人間関係が希薄化した現代における相続について、社会保険労務士法人エニシアFP代表の三藤桂子氏が解説します。※プライバシー保護の観点から、相談者の個人情報および相談内容を一部変更しています。
「幸せに。大金があります」ふた言で終わった78歳父の遺言…年金8万円“変わり者”の家賃滞納ゴミ屋敷を大片付け。疎遠な45歳息子がよれよれのスポーツバッグから見つけた〈衝撃の遺物〉【FPが解説】
疎遠の父が亡くなった
Aさんは45歳の会社員。疎遠になっていた78歳の父が亡くなったという知らせがあり、家の片付けや手続き等のため、亡くなるまで父が住んでいた賃貸アパートに向かいました。
父は製薬会社の研究員でした。もともと勉強家で探究心旺盛の父は、大学卒業後も研究を続けたいと製薬会社に就職。研究に没頭すると周りが見えなくなり、身だしなみも気にかけなくなるような人でした。たとえば髪型を気にすることもなく、寝ぐせでぼさぼさのままで過ごすことも少なくありません。周りからは「変わり者」といわれていたほどです。
父は周囲と馴染むことも得意ではありませんでした。そんな父を心配した研究所長が、「結婚でもすれば少しは皆と馴染めるのでは」とお見合いを勧めます。そうして変わり者だった父は結婚しました。しかしながら、結婚後もその性格が変わることはなく、Aさんが生まれてから間もなくして離婚。
Aさんは、変わり者の父と数年に1度会うだけで、父との関係はあまり良好とはいえませんでした。20歳になるまでは月に1度は会っていましたが、いつも会話が続かず、成人してからは父と関わること自体が億劫に。次第に疎遠になっていきました。Aさんは「父のような大人にはなりたくない」と思いながら、大手企業に事務職として就職しました。
Aさんの父親は会社の輪に馴染めず、社内トラブルによって40代後半で退職すると、その後定職に就くことはありませんでした。アルバイトでもしていたのかもしれませんが、どうやって生計を立てていたのか、ほとんど会うことがないAさんにはわかりません。定職に就いていないにもかかわらず、なぜ生活が成り立っていたのか……。父が亡くなったいま、Aさんの疑問に答えられる人はいませんでした。
父は亡くなるまで家賃月4万円の古いアパートに1人で暮らしていたようです。亡くなる前の数年間は体調を崩していたそうで、家賃を滞納し、家の中がゴミ屋敷状態になって近所からの苦情もあったと聞きました。
父の最期は、心筋梗塞でした。胸の激痛を訴えながら、なんとか自力で救急車を呼び、搬送先の病院で看取られました。