実は、お渡ししたいものが…兄妹に手渡された「1冊のノート」

「もしもし? こちら、柳様のご自宅でお間違いないです? 俳句教室でお父様に生前お世話になった、佐藤明美と申します。このたびはご愁傷様でした……お線香をあげさせていただけますでしょうか」

突然の来客に戸惑う兄妹ですが、断ることはできません。

「はい……どうぞ」

美咲は明美さんを仏壇へと案内しました。

「体調を崩してしまって、葬儀に出られなくって……遅くなってしまってごめんなさいね」

父の遺影を見つめながらそっと涙ぐんでいる姿を見て、「きっと生前、父はよくしてもらったんだろうな」と、美咲は察しました。

「……実はお2人に、お渡ししたいものがあって参りましたの」

時間をかけて手を合わせたあと、明美さんは、カバンから1冊のノートを取り出しました。

「お父様の俳句帖……私がお預かりしていたんです」

手渡されたノートには、亡き父の美しい筆跡で「俳句帖」と書いてあります。なんの気なしにパラパラとめくっていた健太の手は、最後のページではたと止まりました。

健太には世話になって、心から感謝している。万が一のときは家と墓を託そう。美咲のためにも実家を守ってもらいたい

美咲には、自由に使えるお金を残してやりたい。嫁ぎ先での苦労もあるだろう

父は2人の子どもに対して、遺言のようなものをのこしていたのです。

「これって、遺言……?」

健太が尋ねると、明美さんは言いました。

明美さん「私もそう思って知り合いの弁護士に聞いてみたんですけれど、名前や日付が入っていないしハンコもないから、正式な遺言書としては使えないんですって。

 

ただ、先生は俳句教室のとき、いつもご家族のことを話されていましたよ。『うちは頼りになる息子がいるから安心だし、わがままだった娘も立派な母親になった。孫にも恵まれて、俺は幸せ者だ。自分がいなくなったら兄妹で仲よく助け合ってほしい』って……。ですから、ここに書かれているのはきっと、お父様の正直なお気持ちだと思います」

初めて知る父の思いに、美咲さんは思わず涙。凍りついていた2人の心は、明美さんのおかげでしだいに温かくなっていきました。

健太「親父、そんなこと思ってたのか」

美咲「知らなかった。いまの私たちを見たら悲しむかな……」

その後改めて話し合った2人は、父の遺志を尊重し、長男が実家、長女が現金を相続することで合意。遺産分割協議を終えました。

健太「そういえば美咲に子どもが生まれたとき、親父が泣いて喜んでたのを思い出したよ。それだけでも十分親孝行だよな……お前の立場も理解できずに俺が悪かった」

美咲「ううん、私こそ浅はかだった。明美さんには感謝してもしきれないわね」

健太「ほんとだな」

父ののこした「俳句帖」を介して、兄妹仲は修復に向かったのでした。