孤独は楽しむが、孤立は避ける

私のように誰にも干渉されない一人暮らしを謳歌している人はたくさんいます。一人の時間を大切にして、孤独を楽しむことを「楽独」と言います(筆者が友人たちと話をしているときに相応しい言葉としてにわかに作った言葉なので皆様には馴染みがないかもしれません)。ただし、注意しなければならないことがあります。楽独は、一人の時間を大切にしながらも、決して孤立はしていないのです。

孤立の意味を紐解くと、「他から離れて一つだけ立っていること。また、仲間がいなく一人ぼっちなこと。他の助けがなくただ一人でいること」などと出てきます。さらに孤立無援とは「集団の中で他から離れて一人ぼっちになっていて、誰からも助けを受けられないこと」や「近くに仲間がいなくて、誰からも援助を受けられないさま」を意味しています。

そう考えると、「孤立」は日常生活において支障が出る可能性が高く重大な問題となります。さらに、孤立無援の状態になると「一人きりで助けがない」状態になるので、特に高齢者の場合、孤独死に繋がり深刻な事態になります。楽独と孤立は違うということです。

楽独を謳歌する人は、趣味での知り合いや友人がいて、決して孤立はしていないのです。「孤立」の場合は、人との繋がりを断ち、人間関係から距離を置いている状態で、「楽独」の場合は、距離を置いているわけではありません。従って、身近な友人・知人がいてこそ楽独を謳歌することができるのです。

お一人様には「人に頼りたくない」「迷惑をかけたくない」と言う方が多いのですが、できないことは人にやってもらって当然ではないでしょうか。ただし、自分ができることを積極的に人にも提供する、それが世間との繋がりであり、孤立から逃れる一歩となります。ひっそりと胸に抱えた思いを誰かに聞いてほしいとき、一緒に食事をしたり励ましたりしてくれる友人がいればこそ、孤独を楽しむことができるのです。

特に高齢のお一人様には、いま周りにいる友人・知人と関係が途切れないようにすることをお勧めします。特に年代の近い友人や知人は貴重な存在です。結局、なんでも話せて信頼できる人は、同年代の友人や、付き合いの長い知人だったりするものです。子供は、世代も違えば価値観も異なるので、意外と理解し合えないことがあります。

そういえば、今は亡き義母が一人暮らしになったときに、さみしいだろうと思い、嫁として、「さみしいでしょうから、一緒に住みませんか?」と言うと、「まだ、一人で大丈夫。遊びに来る知人や友人があなたたちの友人とは年代が違うし、一人のほうが気楽だから」と返事があったのも今だから分かるような気がします。