父が15年間、110万円ずつ残してくれた通帳を発見したが……

「まさか、こんな目に遭うなんて……」

浅田俊彦さん(仮名、60歳)は、自宅のリビングで頭を抱えていました。その日、相続税の調査で訪れていた税務調査官の一言で、父の思いやりの形が法的には認められないと知り、俊彦さんの心は大きく揺さぶられることになったのです。

俊彦さんの父・浅田正雄さん(享年85歳)は、昨年他界していました。長年町工場を経営し、技術者として地域産業を支えてきた父は、几帳面な性格の人でした。

父の相続手続きも終わって、遺品を整理していた時のことです。仕事場として使っていた書斎の奥深くから、見覚えのない通帳が見つかりました。表紙には確かに「浅田俊彦」の名前が。しかし、これらの通帳の存在を、それまで俊彦さんはまったく知りませんでした。

通帳の記帳内容を見ると、毎年110万円ずつ、定期的に預け入れられていました。15年に渡って続けられていたその預け入れは、利息も含めると総額で1,650万円以上になっていました。昔、銀行員から、年間110万円までの贈与なら非課税と聞いていた俊彦さん。父は私の老後を考えて計画的に貯めてくれていたのだと悟り、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

このお金で温泉旅行やガーデニングを楽しもう――そんな楽しみを夫婦で思い描いていた矢先、税務署の調査官がやってきたのです。

なぜ税務署は「贈与」を否認したのか

税務調査の日、俊彦さんの自宅にやってきた50代半ばの女性調査官は、「ご自身とお父様の通帳と印鑑を見せてください」と言い、一通り目を通すと柔らかな口調でこう切り出しました。

「年間110万を超える贈与を受けたら、贈与税の申告をしなければいけないことを知っていますか?」

「はい」

銀行員から年間110万円以内の贈与なら非課税だと聞いていた俊彦さんは、自信をもって答えました。調査官は、提出された通帳を示しながら続けます。

「毎年12月に110万が振り込まれています。でも、この年だけは振り込みがなく、翌月1月と同じ年の12月にも振り込まれていますね」

「あれっ!?……父が時期を勘違いしたのかな。通帳の存在自体、父の遺品整理の時に初めて知りました。相続の時には知りませんでした」

俊彦さんは、そのことが何を意味するのかにも気づかず、ありのまま答えました。

「同じ年の1月と12月に220万円もらっているので、贈与だったとするとこの年は申告が必要でしたね。さらに、暦年贈与だった場合でも、亡くなる直前3年以内の贈与については、相続財産に含めて相続税を計算する必要がありました」

最初は穏やかだった調査官の説明でしたが、続く言葉に俊彦さんの胸に不安が押し寄せます。

「でも」調査官は、意味ありげに強めの口調で続けました。

「でも、もらっていたことを知らなかったのですね。これらの通帳は、確かに浅田様のお名前になっていますが、実際の管理はすべてお父様がなさっていたのではありませんか? 入出金の記録を見ると、15年前からほぼ毎年12月に110万円ずつ預け入れられ、その後は利息が付く以外に動きがありません。印鑑もお父様の通帳と同じもの。これは贈与になりません。いわゆる『名義預金』です」

「名義預金……?」

「名義預金とは、実質的な所有者と預金通帳の名義人が異なるケースを指します。この場合、通帳は浅田様の名義ですが、実質的な管理支配はお父様にあったと考えられます」

いきなり飛び出した「名義預金」の指摘。俊彦さんは状況を理解できぬまま正直に事実を認めます。

「つまり、毎年の贈与が確実に成立しているとは言えないのです。実質的にお父様の財産なので相続税の対象になります。贈与の基礎控除内に収めるためには、贈与の意思表示と、財産の管理権が受贈者に移転している必要があるのです」

「でも、父は私のために……」

これだけの言葉を絞り出すのが精一杯でした。

「お気持ちはよく分かります。しかし、贈与が成立するためには、贈与する側の『贈与する意思』と、受け取る側の『受け取る意思』が必要です。さらに、実際に財産の管理権が移転していることが重要なのです」