ピーク時は年収1,000万円を稼いでいた60歳の武井惣一さん。現在は契約社員として用務員の仕事をこなしながら、「残業のつもりで」ドラッグストアでも働いているそうです。自己破産を経験し、心が折れそうになりながらも日々を懸命に生きる武井さんが語ってくれた「貧困のリアル」とは。ルポライター増田明利氏の著書『お金がありません 17人のリアル貧困生活』(彩図社)よりみていきます。
もうしんどい…年収1,000万円→いまは“働きづめ”で月収26万円。借金を返せず「自己破産」した60歳・非正規男性の嘆き【貧困の実態】
順調だった仕事が激減→自己破産に陥ったワケ
それなりに順調な商いを続けていたのだが、08年のリーマンショックで一気に需要が落ち込んだ。追い討ちを掛けるように東日本大震災も発生。受注、利益とも低水準をウロウロする状態に陥る。
「企業の広告宣伝費削減、ペーパーレス化が大きかった。紙媒体よりネットで広告を打つというのが伸びてきたんだ。これが痛かった」
意外なところでは少子化の影響も。
「印刷屋と少子化の間に何の関係があるんだと思うでしょうけど、うちは公立の小中学校の文集作成や卒業アルバムの制作も委託されていたんです。ところが子どもの数が減っていくものだから数は落ちる一方でした」
学校の統廃合もあったので作成部数は90年代半ば頃のほぼ半分。売上げで数百万円の減少という落ち込みようだった。
「一部外注に出していたものを内製化する。印刷用紙やインクの仕入れは価格の安い業者に変更するなどして立て直しを図ったのですが、焼け石に水でした。同業他社との競争も激しくなって立ち行かなくなってしまった」
18年3月の決算は300万円近い赤字を計上。過去の設備投資に伴う借入金返済も重荷に。受注は更に減少、品物を納めた会社が倒産して代金の未収が数件発生。とうとう資金繰りがつかなくなり事業継続を断念し、自己破産を申請したという顛末だ。
「負債は1,200万円近かった。だけど会社の金庫は空っぽ。当座預金の残高は数万円。わたし個人の資産もほとんど吐き出していたからどうにもならなかった」
自己破産と債務免責はあっけないほど簡単に認められ、どうにか借金からは解放された。
「生きていかなきゃならないからクヨクヨしてる場合じゃないでしょ。息子も娘も学校を卒業していた。妻と2人で暮らす収入があればいいと思って職探しを始めたんです。働けば社会との接点も持てるから」
ハローワークの紹介だったが、面接はあっさりしたものだった。
「詳しい職務経歴書なんて求められなかった。ホワイトカラー的な仕事ならともかく、契約の用務員採用なんてこんなものですよ」