夫とともに自営業者として働いていた三村さん(仮名)。順調に商売を続けていましたが、夫の急死により生活が一変します。転職や引っ越しを経て、現在は年金とパートの収入でなんとか生活しているという三村さんの生活を例に、貧困生活の実態をみていきましょう。ルポライター増田明利氏の著書『お金がありません 17人のリアル貧困生活』(彩図社)より紹介します。
お年玉をくれないおばあちゃんなんて嫌でしょ…年金+パート代で月収15.5万円の68歳女性、“普通”を守るための“ハード”な現実【ルポ】
老体に鞭打って頑張ったが…年間の給与所得はわずか68万円
三村昭子(68歳・仮名)
出身地:神奈川県川崎市/現住所:東京都調布市/最終学歴:高校卒
職業:クリーニング取次店受付/雇用形態:非正規(パートタイマー)
収入:月収5万5,000円前後、他に年金あり
住居形態:都営アパート/家賃:約1万8,000円
家族構成:独身、夫とは死別。長男、長女は独立/支持政党:特になし
最近の大きな出費:炊飯器の買い換え(6,780円)
12月の給料(11月16日~12月15日まで)は出勤日数がいつもの月より4日多かったので6万4,000円ほど。先週末にはボーナス代わりに餅代として5,000円の寸志も出たので12月分の収入は合計すると約6万9,000円。
「老体に鞭売って頑張ったのですが、今年1年の給与収入は70万円に届かない。働いているといっても4時間パートで1日置きの出勤ですから」
12月分の明細書と一緒に源泉徴収票も渡されたのだが、記載されていた給与収入は約68万円だった。
「今は年金とクリーニング取次店のパート収入でどうにか暮らしています。余裕なんてありゃしませんよ。持病、生活習慣病はなく至って健康です。あっちが痛い、こっちが痛いということもありません。使ってくれるならもう少し働きたいのですが、この年齢では難しいですね」
高校を卒業して社会人になったのは72年(昭和47年)。就職したのは化学メーカーで、工場の庶務課で働いていた。
「結婚したのは28歳のときでした。相手は高校の同窓生で2歳上の人です。実家が寿司割烹店を営んでいて夫も寿司職人でした」
結婚した翌々年に独立。葛飾区内に自分の店を持って夫婦2人で懸命に働いてきた。
「商いは順調でした。夫は人付き合いも良く、新参者でしたが町内会や商店会の皆さんともいい関係で役員をやったりしていました」
商売はまあまあ。息子と娘も生まれ、それなりに充実した生活を送っていたが一気に暗転してしまった。
夫の急死で生活が一変
「89年(平成9年)の年末に夫が急死してしまいましてね。急性心筋梗塞だったのよ。元々が太り気味で血圧も高かった、だけど病院嫌いで定期的に通院して状態をチェックしたり必要な薬を飲んだりしてはいなかったんです。それが悪かったんでしょうね」
今で言う突然死で享年は46歳。これで生活が一変した。
「わたしには寿司は握れませんからね。それで業態を変えて定食屋を始めたんです。近所には中小企業、町工場がたくさんあって盛況でしたよ」
営業はランチタイムの11時から14時までと、夜6時から9時までの2部制。お酒を出して夜11時までやれば稼ぎは多くなるだろうが、1人ですべてを切り盛りするのは体力的に無理だった。
「ご飯屋は11年やりましたね。大きな儲けはなかったけど親子3人が暮らしていけるだけの収入はありました。ところがお店を閉めなきゃならなくなりまして」
店舗兼住まいは賃借だったが立ち退きを求められたということだ。
「自分の所と両隣の土地所有者が亡くなったということで、相続税を払うために売らなきゃならないということでした。管理会社経由で地主さんから連絡があり、2ヵ月後には買ったデベロッパーの人が来て6ヵ月以内に退去してくれと言われました」
デベロッパーの言うことは半年前通告というもので法的に問題なし。預けていた敷金と僅かな立退き料で出ていかざるを得なくなった。