個人の能力は遺伝的に決まっていると信じている人も多いでしょう。こうした「遺伝子神話」がはびこる今の時代において、改めて、親が子に与えられるものとは一体何なのか。本記事では、日本における双生児法による研究の第一人者、安藤寿康氏の著書『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新聞出版)から一部抜粋・編集して、親子関係において不可欠な「教育」について解説していきます。
親が子どもに与えられるもの
卵が先か、ニワトリが先か。これはどちらがどちらの原因か、その因果関係がわからない様子を指すことばとしてよく使われます。
しかしヒトの場合、「親が先か、子が先か」の答えは決まっているといっていいでしょう。「子が先」である、と。人間は子どもを宿して、子どもを産んで、初めて生物学的な意味で親となります。
一人の人がこの世に存在しているということは、その人を産んだ母親と父親が存在する、あるいはしていたというれっきとした生物学的な事実があります。当たり前のことをわざわざ大げさに言っているように思われるかもしれませんが、現実の社会には、この当たり前を忘れている場合があります。
たとえば生まれてすぐに親と死に別れたり、何らかの事情で親が子を育てることができず、あるいは育てたいと思えず、遺棄したり、里子に出したり、施設に預けたりして、子どもが一度も親と会ったことがないまま育つ場合などです。
しかしそれでもその子どもを産むことにかかわった一組の男女がおり、一つの新たな生命体をこの世に出現させたという生物学的事実は疑いようもありません。そしてその一組の男女は、生まれ落ち、自分の遺伝子を受け継いだ子の幸福を願い、子どものためなら命もなげうち、自分にできる最良のことをしてあげたいと思う。
多くの親がそうではないかと想像する一方で、いまそのように思えない、してあげたくてもできないという親もまたいるでしょう。しかしそもそもそのお子さんをこの世に生み出したことそれ自体が、生物学的に見て、子どものために命もなげうつ、できる最良のことだったといえます。
なぜなら出産それ自体が、母体に与えられた大きなリスクを乗り越えてきた証拠なのですから。子どものために親が与えられるものには、もちろん衣食住という基本的なものがまず挙げられます。それがどのようなものであれ、人間が人間として生きてゆくために必要不可欠であることは言うまでもありません。
しかしもう一つ、人間が生きるために絶対に必要なものがあります。それが「教育」です。