個人の能力は遺伝的に決まっていると信じている人も多いでしょう。こうした「遺伝子神話」がはびこる今の時代において、改めて、親が子に与えられるものとは一体何なのか。本記事では、日本における双生児法による研究の第一人者、安藤寿康氏の著書『教育は遺伝に勝てるか?』(朝日新聞出版)から一部抜粋・編集して、親子関係において不可欠な「教育」について解説していきます。
ヒトは教育する動物である
親が子どもに幸福のために与えるものが「教育」だというと、学校に行かせることとか、塾やおけいこごとに通わせることだと考える方がいるかもしれません。しかしここで私が言おうとしている親が行う教育とは、学校にかかわることよりももっと広いものを考えています。
そもそも教育の科学的定義は「独力で学ぶこともできない知識やスキルを他者が学ぶのを、わざわざ手助けしてあげること」というもの※で、ヒト以外にはそれを行っている種はほとんどいない、ヒト特有の行動なのです。
それというのも、ヒトは教育がなければ生きていけない動物だからです。その中にはもちろん学校教育も含まれます。しかし学校が教えてくれないたくさんのことがあります。
基本的な衣食住の「衣」にしても、ただ服を買って与えておけばよいのではなく、パジャマの着方、脱ぎ方、靴に右と左があることなど、鳥が誰からも教わることなく空を飛んだりクモが巣をつくれるように、遺伝的に本能で知っているわけではありません。
直立二足歩行や母国語など、意図的に教えなくとも子どもが自ら獲得できる能力もありますし、ものによっては他人がやっているのを、見様見真似で独力で学べる勘の良い子もいますが、ヒトが文化を通じて生み出して使っている知識のほとんどは、一つひとつを教えてあげねばなりません。
私たちは一人前になるまでにどれだけ多くの知識やスキルを身につけねばならないのでしょう。これらの多くは家庭あるいは家庭のようなところで、親または親のような役割を果たしてくれる人から教わります(「家庭のような」「親のような」と言ったのは、なんらかの事情で実親ではない大人に育てられたり、児童養護施設などで生きる子どもたちもたくさんいるからです。ただこれ以降はそれらをすべて「家庭」「親」とまとめて呼ぶことにします)。
親は着替えやトイレやお箸の上げ下ろしや挨拶の仕方など、日常生活で必要な知識やスキルだけでなく、さらに生きてゆくのに役に立つ、親が自らの経験で学んださまざまな知恵や知識も、子どもとの生活の中で、意識するとしないとにかかわらず、教えてゆきます。
それは自営業で培った仕事の極意や歌舞伎のお家芸ばかりではありません。「教える」という人間の営みは、学校でなされることである以前に、本来、生殖や食物分配と同じく、生物としてのヒトが生き延びるために獲得した本能的ともいうべき生存ストラテジーなので、ヒトは知らず知らずそれを行っています。
安藤 寿康
慶應義塾大学名誉教授・教育学博士