人間だれしも命が惜しいと思うもの。ですが、医師であり小説家でもある久坂部羊氏は、生にしがみつくことでいたずらに苦しみを増やし、時間を無駄にして、悔いを残しながら亡くなった患者をたくさん見てきたといいます。本記事では、久坂部氏の著書『健康の分かれ道 死ねない時代に老いる』(KADOKAWA)から一部抜粋し、上手に最後の時を過ごすために必要なことをご紹介してます。
“生にしがみつく”ことがもたらす不幸の数々…多くの患者を見送った医師が「人間、適当なところで死ぬのがいい」と語る深い理由
生にしがみついた結果、悔いを残して亡くなった人々
命が惜しいのはだれでもです。もちろん私も惜しいです。ですが生にしがみつくことで、助からないだけでなく、いたずらに苦しみを増やし、時間を無駄にして、悔いを残しながら亡くなった患者さんをたくさん見てきたので、適当なところで死ぬのがいいと実感しています。
だから、自分だけでなく、他人の死に対しても、いいタイミングで亡くなった人には、よかったですねと、私は死を肯定しています。死を肯定するなんて、信じられないという人もいるかもしれませんが、いくら全否定していても、死ぬときは死にます。
外科医のころは、がんの患者さんの治療で悩みました。今から四十年ほど前のことで、当時はまだ患者さんにがんの告知をしていませんでしたから、最後まで治療を求める人がほとんどでした。がんの治療は再発した場合、抗がん剤の治療が中心になります。
抗がん剤は副作用が強いので、効果がある間は頑張って治療を続ける意味がありますが、効果がなくなれば、治療を続ける意味はなく、むしろ副作用だけが残って患者さんを苦しめたり、寿命を縮めたりすることになります。つまり、がんはある時期を超えると、治療しないほうがQOLを高めることになるのです。
しかし、この事実を理解している人は少なく、治療しないこと=死の宣告と受け取る人が多いようです。そのため最後の最後まで無益な治療を求め、自ら貴重な残り時間を無駄にする患者さんを見るのは、なんともつらいことでした。