人間だれしも命が惜しいと思うもの。ですが、医師であり小説家でもある久坂部羊氏は、生にしがみつくことでいたずらに苦しみを増やし、時間を無駄にして、悔いを残しながら亡くなった患者をたくさん見てきたといいます。本記事では、久坂部氏の著書『健康の分かれ道 死ねない時代に老いる』(KADOKAWA)から一部抜粋し、上手に最後の時を過ごすために必要なことをご紹介してます。
“生にしがみつく”ことがもたらす不幸の数々…多くの患者を見送った医師が「人間、適当なところで死ぬのがいい」と語る深い理由
上手に最後の時をすごすためには「心の準備」が必要
また、苦しい治療を乗り越えたら、がんが治ると思い込んでいる患者さんもいて、まるで荒行に立ち向かうように、副作用の強い治療を求めたりするケースもあります。
私の親戚でも、母親が卵巣がんになり、副作用の強い治療を受けて亡くなったあとで、娘から「お母さんはあんなにつらい治療を頑張ったのに、どうして」と聞かれて困惑したことがあります。副作用の強さと治療効果は関係がなく、多くの場合、つらい治療は体力を損ねる分、病勢を強めて逆効果です。
別の知人の父親は、それまで健康情報になど見向きもしなかったのに、胃がんのステージ4の診断を受けたとたん、娘さんが「がんにはタンパク質がよくない」と言ったのを信じて、好きな肉料理を食べなくなりました。
それで結局亡くなったのですが、知人は父親に好きなものを食べさせてやりたかったと悔やみ、いい加減な健康情報はほんとうに罪が深いと怒っていました。
そんな単純な情報を信じるほうが悪いと思う人もいるかもしれませんが、がんで死が迫っているとき、これがいいとか悪いとか言われたら、無視できる人はどれだけいるでしょう。
大学で医学概論の講義をしていたとき、学生に手遅れのがんになったら、それでも治療を続けるかというレポートを書いてもらうと、「手遅れなら治療せず、温泉に行ったりして好きなことをする」と書いた学生が少なくありませんでした。
それで次の講義で、「がんで死ぬことが確定しているときに、温泉に行って楽しめますか」と聞くと、多くが神妙な顔で首を振りました。やはりその状況がリアルに想像できていなかったようです。
どうせ死ぬのだから、最後は好きなことをやって死にたいと思っている人は、よほど事前に心の準備をしておかないと、最後に生への執着が出て、好きなことどころではなくなるでしょう。
いつまでも健康に執着して、生にしがみついているとロクなことはありません。死が迫ってきたとき、慌てずうろたえず、上手に最後の時をすごすためには、やはり早めに死に対して冷静でいられる心の準備が必要だと思います。
久坂部 羊
小説家・医師