「自分探し」の結論を出すのにおすすめの年齢

好きな食べ物については、人は得てして自覚的なものですが、こういう場所は楽でこういう場所は窮屈だ、ということは、自分でも見極めるのに案外時間がかかるものです。10代、20代は自分のアイデンティティを模索する時期です。自分という存在を見極める年齢の目安は、30歳に置いてみるとよいと思います。

自分の可能性についてあまり早い段階で結論を出してしまうと、よい機会も逃してしまいかねませんが、30歳は、好みの場所、人間関係の在り方が自分の中で振り分けられていく年齢です。何に自分が疲れ何には疲れないのか、判断に客観性も出てくる頃合いです。

漫画家、つげ義春さんは、貧しいバラックの家やさびれた温泉宿に安らぎを見出しました。会社は苦手でも、釣りのコミュニティの人間関係なら大丈夫、ということはないでしょうか。

現代ではフリーランスになって自分のペースで仕事をすることも可能ですから、会社勤めこそが社会に属することだ、などと自分を縛らずに、自分がリラックスできる場を生きる場として自由に検討してみるのがよいと思います。

日本社会はここ80年近く、第二次世界大戦の敗戦からの復興、そして高度経済成長と時代全体に怒濤感があり、流れるプールの中を歩くことで、社会全体で一つの渦を作ってきました。いわゆるこの「護送船団方式」の余波は続き、仕事の場では皆勤賞が当たり前とされ、苦難を馬力で乗り越えていくことが社会的に求められました。

しかし日本経済が下り坂に入り、環境問題が深刻化した現代、自分の面倒は自分でみなければならない時代に突入したのです。社会と自分との相性がわかったところで、自分の生きていく算段を考えてみましょう。

漫画『聲の形』に学ぶ、人間関係の難しさと喜び

そういう時代の中で理想的なのは、友人たちに守られている感覚です。信頼できる友人関係を築くことは容易ではありませんが、それに挑戦した人物が、ある漫画の中にいます。

『聲の形』(講談社)という漫画は、硝子と将也の二人の物語です。硝子は、小学校に転校してきて将也と同じクラスになりますが、耳が聞こえにくく、発声もうまくいかない硝子を将也はからかい、補聴器を壊してしまいます。高校生になり贖罪意識を感じた将也は、あの時の時間を取り戻してあげなければという思いから、硝子にかかわっていきます。

この作品の漫画表現上、面白いのは、将也の苦手な相手の顔に、バツ印が出てくることです。話のできない相手の顔にバツ印が付いている。クラスのほぼ全員にバツ印が付いた状態が続くのですが、ペロっととれる瞬間もあります。

いじめっ子としてふるまっていた将也の側には、深い孤立感があります。このバツ印は心象風景としては将也にとっての実景ですが、硝子の顔には一度もこのバツ印が出ることはありません。漫画の中で、硝子と将也の距離も、葛藤を経て縮まっていきます。将也は、自分がいじめていた硝子に、安心を与えたいと思うようになるのです。

この漫画では、登場人物の誰もが自分の中に、言葉と行動のちぐはぐさを抱えていて、そのことに強く悩んでいます。自分が受け取った印象を、相手は必ずしも意図していなかったということ、いじめる側、いじめられる側双方の心の変化が、丁寧に描かれています。

私も将也のように、周囲がバツ印に見えるかのような思いをしたことがあります。その際に思ったのは、いっそ「最高裁で会いましょう」くらいに考え、相手ととことん戦うと決めれば自分の身を守ることができる、ということです。最終段階を心に決めると気が楽になり、戦いからはむしろ離れました。

相手との間に何かしらのワンクッションを置くことができれば、ストレスが減じ、自分とともに戦ってくれる人がいたら、その人はかけがえのない友人となります。

齋藤 孝

明治大学文学部教授